2012年04月19日

The memo about the Cezanne exhibition (items)

-I realized the importance of the fact that Cezanne was not skillful painter.

-Unskillfulness turns our attention to PAINTING itself when we look at a painting. Because we tend to regard the cause of the impression as the result of the painter's skill if he is a skillful painter. (Think about Picasso.)

-The painters of the impressionist school released motifs of paintings from any meanings. Especially, Cezanne had the tendency strong.

-It is not caused by the meaning of motifs when we are impressed seeing Cezanne's painting. And it is not caused by the painter's skill, too. The cause of the impression must be in the painting itself.

-It was obvious that modern paintings stop needing a model after Cezanne. I consider it is natural that Cezanne is called the founder of modern painting.

-However, I noticed about another importance of Cezanne's painting this time. It is related about the necessity of a painting subject.

-I have noticed that I was looking at not "painting" but the painted subjects after rounding the exhibition hall repeatedly. I was looking at the sights which Cezanne looked at.

-That feeling was very virtual. It seemed that Cezanne's sight was transplanted to my eyes by using the tool which a company like Google or something will develop in future.

-Cezanne painted the picture what he saw. To say is easy, but to do that is not easy. We cannot paint what we see easily. Because even if you paint the tree which stands in front of you, it may become not "this tree" but "a tree". Or it may become a symbol of "tree" or become a metaphor for something.

-What Cezanne painted was not "a tree" but "this tree". It is that only Cezanne was able to do.

-The same thing can be said about a human portrait. Even if you paint a man sitting in front of you, it may become not "this man" but "a man" or "Mr.**". It is far different from "this man I am looking at".

-The portraits Cezanne painted cause to feel no humanity. And also they do not evoke their name. It seems that the only thing Cezanne demanded to his model was keeping still. Probably, Cezanne did not care who the model is, if he(she) was able to keep still for a long time. (I guess that Cezanne married his wife because she was able to keep still like an apple.)

-Cezanne painted not "the person" but "the person whom he was looking at" in the same way as still life and landscape.

-Therefore, Cezanne paintings can stand apart even from the context of Cezanne's life.

-I consider that it is another revolution in art history that Cezanne was able to paint not "a tree" but "this tree".

-It shows the magic nature of the act of painting a picture.



「セザンヌ―パリとプロヴァンス」
国立新美術館(2012年3月28日〜6月11日)
http://cezanne.exhn.jp/

posted by 3 at 21:26| Diary

セザンヌ展を見てのメモ(箇条書き)

・セザンヌが「へたくそ」だったことは、ホントに重要だったんだな〜と実感。あれが「実はデッサン力はバリバリにあるけど、わざとこう描いてるんダヨ〜ン」とかだったら絶対ああいうふうには見えない。セザンヌの「天才」の大半が努力の成果だったとしても「へたくそさ」だけは天与のものだ。あれだけは努力ではカバーできない。

・セザンヌがオトーチャンの邸宅の居間を飾るために描いた初期のデッカイ壁画とか、ホンットへたくそで笑える。こんだけ見ると「進む道を間違えた」感いっぱいでゼツボーの未来しか思い描けないのだが、いやぁ〜人間なにが幸いするかわかったもんじゃないねw

・セザンヌの「へたくそさ」は、我々が彼の絵に「絵画」そのものを見ることへと寄与している。もしセザンヌが「実は上手い」画家だったら、我々は彼の絵から受ける感銘を、彼の技量に帰する誘惑から逃れられないだろう。それほどまでにも「技量」に対する我々の信仰は深い(ピカソを例に考えてみればわかるだろう)。

・セザンヌの描くモチーフは、何の意味も価値も有さない。モチーフの持つ価値からの解放はセザンヌ一人の手柄ではないが、セザンヌの場合はとくにそれが徹底しているように感じる。

・「へたくそさ」とモチーフの無価値化、無意味化は、絵の評価をあらゆる文脈から忌諱させる。その絵を見て受けた感銘は、画家のアカデミックな技量に裏付けされているからでも、描かれた対象が特別な意味や価値を持っているからでもない。従って感銘の源を探す鑑賞者の意識は「絵画」それ自体へと向かう。

・その意味ではセザンヌの絵が、20世紀において展開される抽象絵画の祖となったことは理解できる。この方向を推し進めていけば、やがてはモチーフを必要としなくなり、絵画自体が自足した構成要素に成り立つであろうことは充分予測可能だからだ。

・しかし一方、それとはべつの印象もまた今回の観賞のなかでは抱いた。それはモチーフ(モデル)の必要性についてだ。というのも会場を何巡かしているうちに、自分が「絵画」ではなく「描かれた対象」を見ていることに気付いたからだ。

・その感覚は、例えてみればこんな感じだ。人間の視覚には個体差があると仮定する。人が見ている世界の像は人間の数だけ存在するのだ。そして、未来においてどっかの企業(たとえばGoogleとかw)が「他人の視覚を自分の視覚として見ることのできる装置」を開発したとする。その装置を使って「セザンヌが目にした光景」をそのまま自分の視覚として見たとしたら・・・そんな「バーチャルな感覚」に近かった。

・セザンヌの絵を見て「セザンヌが目にした光景」を感じるバーチャル感は、セザンヌの絵におけるモチーフ(モデル)の必要性と関連があるように思う。それは抽象絵画へと向かう美術史的な絵画の「進化」とはまた別に、セザンヌの絵が孕んでいたもう一つの絵画の大きな可能性なのではないだろうか。

・セザンヌは自分の目に映ったものを描いた。これは口で言うほど容易いことではない。たとえば目の前にある木を描いたとしても、それはキャンバスに写された瞬間「木」になってしまうかもしれない。あるいはなにかのメタファーになってしまうかもしれない。セザンヌが偉大なのは「木」ではなく「その木」を描いた(描けた)ことだろう。

・その態度は風景や静物だけでなく、人間に対しても徹底している。セザンヌの絵に描かれた人間たちは「ただそこにいて、じっとしている」以上のことを求められていないように見える。本来肖像画においてもっとも重要な問題である「それが誰か」は、セザンヌの絵においては蔑ろにされっぱなしである。

・ぶっちゃけ、セザンヌがオルタンスと結婚したのは、単に彼女が「リンゴのようにじっとしている」というだけの理由だったんじゃないのか?w 

・セザンヌによって描かれた木は、セザンヌに描かれたことにより初めて「その木」になる。あらゆる分類や文脈、名前から解放された「その木」に。同じことは描かれる対象が「人間」であっても言える。

・ただ「セザンヌが見た」というだけの意味においての「その木」であり、「そのリンゴ」であり、「その人間」。しかしそれらが持つ比類なき存在感の意味するものはなにか?

・展示の最後にセザンヌのアトリエが実物大のモデルで復元されているのだが、これが笑っちゃうほどなんの感慨も呼び起さない。他にもセザンヌが実際にモチーフとして使用した瓶やら壺やらも展示されているのだが、こちらもまたアウラの片鱗も感じさせない。

・クッダラネーと思いつつも、ゴッホのアトリエを再現して展示したくなる気持ちは理解できる。ポロックもまた然りだ。しかしセザンヌは違う。もし再現されたセザンヌのアトリエが畳の間だったりガレージだったりしても、セザンヌの絵を見る目にはさほど影響を与えないようにも思える。

・つまりセザンヌの描いた絵は「セザンヌ」という文脈を離れても価値を持ちうる。そして、それはセザンヌが「木」ではなく「その木」を描き得たが故に実現されたことなのではないのか。

・セザンヌの絵の持つもうひとつの革新性は、「絵を描く」という行為における魔術的側面を切り拓いたことではないだろうか。



「セザンヌ―パリとプロヴァンス」
国立新美術館(2012年3月28日〜6月11日)
http://cezanne.exhn.jp/

posted by 3 at 21:22| 日記

2012年03月30日

文字の写真

岸幸太の個展を見て印象に残るのは、写真のなかに写った文字だ。それは捨てられた雑誌の一頁であったり、誰も顧みないような看板であったり、手書きの貼り紙であったり、殴り書かれた壁の落書きであったりする。
展示の主たるモチーフではないのだが、注意して見るといたるところに文字が散見されることに気付く。そしてそれらは、不思議といつまでも心に残り続ける。以前の個展で見た写真のなかの官能小説の内容が、未だに記憶に焼き付いているほどだ。
岸の写真のなかに写る文字たちは、みな落ちこぼれた文字である。あるものは読み捨てられ道端でゴミとして朽ち果てることによって、そしてあるものは生まれながらにして。それらは世に溢れる文字のなかで、最底辺に吹き溜まるものたちである。もはや読まれることもなく、あるいは最低限の意味を見て取られるだけで「文字」として意識されることもない、文字の成れの果ての姿だ。
しかしそんな「名もない」文字たちが、岸の写真のなかでは俄然「文字」としての存在感を発揮するのである。本来あるべき文脈からこぼれ落ち、辛うじてかたちを保っているだけのそれら最底辺の文字たちが、写真のなかでは意味を表意するという「文字」としての最大の使命を必要以上に全うする。あるいはそれを書いた者たちの人生をも赤裸々に浮かび上がらせる。まさにこれらは、文字が「文字」として在る剥き出しの姿なのではないだろうか。
そして岸の主モチーフたるドヤ街に生きる人々のポートレートは、それらの文字に似ているように思える。岸が撮るのは、生き様が滲み出したかのような強烈な面構えの男たちばかりだが、不思議と一人の人間としての存在感や人格をそこに感じることはない。群としての人間像は印象に残るのだが、一人一人の人物を思い出そうとしてもなかなか思い出せないのだ。言ってみれば岸の撮るポートレートに写る人間たちは「個性」といった言葉からはもっともかけ離れた地点にいる。
思うに岸が写しているのは、一人の名前を持った誰かではない。あるいはそれは「日雇い労働者」や「寄せ場に生きる人々」ですらないのかもしれない。それはもっと大きなカテゴリーである、たとえば「カブトムシ」や「象」などと並列されるべき種としての「人間」なのではないだろうか。彼の写真に写された文字たちが、文字が「文字」である剥き出しの姿であるように、岸の写す労働者たちのポートレートは、個人の名前や処世の肩書きを削ぎ落とした「人間」の相貌のように見えるのだ。
過去に岸は自身の個展に「傷、見た目」というタイトルをくりかえし使っている。それに託けて言えば、彼の写真に写された文字たちはまさに「傷」のように自分には見える。それはそれを書いた人間が、それを読んでいた誰かが、そこに確かにいた痕跡としての「傷」なのだ。
同じように、岸の写真に写された人間たちもまた「傷」に似ている。記憶されるべき名前や、影響力のある肩書きは、そこにはないかもしれない。しかし彼らは紛れもなくそこに存在したことを証拠立てる「傷」として、この世界に存在しているように見える。まるで人間がこの世界に存在するという謎への、揺るぎなき解のように。
そして彼らがこの世界に付けられた「傷」に見えるとき、神にも似た彼方の地点から注がれる冷徹な「視線」がそこにあることに気付くのだ。


岸幸太写真展「釜ヶ崎−ひなた、彼方」
photographers' gallery、KULA PHOTO GALLERY(2012年2月21日−3月25日)
http://www.pg-web.net/documents/past/2012/kishi_09/index.htm

posted by 3 at 20:46| 日記

As a scar

The main subject of Kishi Kota's photograph is portrait of men who live in skid row.
However, it is not the men but the written and printed characters that I was most impressed in Kishi's photographs. You can see some of them on a thrown-away dirty magazine, on a cheap billboard, on a handwritten poster and dirty graffiti on a wall.
Though they are not main motif of his works, they left me an unforgettable impression. I still remember a porn story which printed on the Kishi's photograph I saw before.

I think that all of the characters appeared in Kishi's photographs are losers. Some were thrown away, and some were born dropouts. Nobody reads them seriously now.
However, in Kishi's photograph, I feel powerful identity as "words" from them. I found myself reading them earnestly. The contents written there entered into my head smoothly, and were memorized. I was able to imagine even lives of people who wrote them through them.
I think that they achieved the maximum mission as a character. Although they are ruins as a character, they show the ability of a character more than any other ones. I consider that they are the naked figure of a character.

And I think that those characters look like the men in Kishi's photographs.
Although all the men in Kishi's photographs have unique faces, I cannot remember them clearly. It was because I couldn't find any individuality from them at all.
I consider that Kishi photographed neither "someone" with a name nor a "day laborer". I think that he photographed a "human being" as the same sort as a "beetle" and an "elephant". They are the portraits of a naked "human being".

Kishi titled his exhibition "Scars, Appearance" several times in the past. I think that the characters in Kishi's photographs look like scars. They are the scars as the traces that someone who wrote them or read them existed there.
I also think that the men in the Kishi's photographs look like scars. They do not have a name which should be memorized and do not have any status which affects someone. However, they existed like a scar as the proof that surely they were there. It seems to be an answer to the question why human beings exist in this world.
And I consider that the viewpoint will be in the position of God when we can see the men as a scar.


岸幸太写真展「釜ヶ崎−ひなた、彼方」
photographers' gallery、KULA PHOTO GALLERY(2012年2月21日−3月25日)
http://www.pg-web.net/documents/past/2012/kishi_09/index.htm

posted by 3 at 20:40| Diary

2011年12月27日

今年一年を振り返って、書き記しておくべきニ、三のこと

例年だと年末には一年を振り返って、その年に見た展覧会のTOP10のリストを作るのだが、今年はなかなかその気にならない。印象に残る展示は多かったが、それよりもやはり今年は三月の震災のときの記憶がすべてを上回っているからだろう。

地震直後のパニック感がようやくおさまった頃から、とにかく絵が見たくなって仕方がなくなった。とくに人の手で描かれた痕跡が残されているような絵だ。
震災後一週間ほど経った頃だっただろうか、国立新美術館で再開された「シュルレアリスム展」を見に行ったのだが、初期のエルンストの絵画なんかに異常に胸が熱くなり、込み上げて来るものがあった(晩年の様式化した作品にはなにも思わなかったケド^^;)。
普段はそこまで(少なくともそのようなかたちでは)心を動かされることはない絵に感動したのは、連日津波災害による圧倒的な破壊の映像を見せられてきたことも大きく関係していたように思われる。巨大な自然の力の凄まじさにただただ打ち拉がれていたとき、こんなにもささやかなものだけれども、自然には為しえない「人間の力」とその意志の痕跡をそこに見て、なにか救われたような気持ちになったのだと思う。
おそらく震災の直後は、誰しもが似たような経験をしているのだろう。そこでなにに救いを求めるかは、きっと人それぞれであったに違いない。自分の場合は、とにかくその頃一番見たかったのが人の手の痕の残った絵であり、典型的なものとしては印象派のような絵画だった(結果的には印象派の絵画を見る機会はしばらく訪れなかったのだけれど)。そうした有事にこそ人間の本性が表れるのだとしたら、よりにもよって俺は「印象派の絵画」カヨッ!と、その俗っぽさに自分で苦笑してしまうが、しかしあの頃は、ほんとうにそれが切実に見たかったのだ。


震災直後のことについては、このブログにも日記として書き記しておこうと何度か試みたのだが、結局は書けずに何れも断念した。当時はほんとうに言葉を発すること自体が難しかったのだ。その困難は、現在でも完全には解消したとは思えない。
いま振り返ってみると、三月の震災とそれに伴う一連の出来事は、自分にとっては「他者」の存在の「発見」だったのかもしれない。「自分」以外の大勢の人間が、いまこのとき、この世界に自分と同じように生きていて、自分と同じように思い、考え、行動しているということは頭では理解しているのだけれど、それを身をもって思い知らされたのだ。
地震の直後、さらなる巨大地震の予感と原発事故の進行のなか、このままこの世の終わりが来るんじゃないかと怯え竦んでいたとき、いままで霧の向こうにあったような「他者」の存在が、突然「自分のこと」のように感じられるようになった。それは、同じ災禍を一緒に受けているという一体感だったのかもしれないが、なにか「自分」というものを定義していたその境界が膨張して、いきなり広く列島を覆う規模にまで拡張したような、そんな感覚だったのだ。ネット上では様々な発言が飛び交っていたが、たとえそれが正反対の立場を取るものであっても、すべての意見が、すべての行動が、皆「自分のこと」として、その真意を共有できるような気がした。巨大な脅威の下で、皆が同じことに怯え、皆が同じようなことを思考しているように感じられるなか、「自分」の垣根が個体の枠を超え、集合体のレベルにまで膨張したような、そんな感覚がそこにはあった。

しかしそれは一瞬で終わる。「この世の終わり」がひとまずはやって来ないとわかったとき、とりあえず明日がこのままずっと続いていくのだとわかったとき、我々は受けた災禍が「個人」によって著しく差があることに気付く。
それはまず「距離」というかたちで顕在化する。いま居るここから電車に乗ってほんの数時間移動しただけの場所では、想像もできないような光景が広がっているなんて、それこそ「想像もできない」のだ。そこにいるひとたちの心情、彼らが受けたであろう傷の大きさを「自分のこと」として思うことの不可能性に愕然とした。地震直後の日本全体が等しく巨大な脅威の下にあるように感じたあの「一体感」の後だっただけに、その不条理なまでの災禍の格差は、自分を大いに困惑させた。「自分」との境界が見えなくなるようなかたちで現れた「他者」が、今度は逆に圧倒的な「断絶」をもって、その存在を思い知らせてきたのだ。そして、考えてみれば「他者」とは、まさにこの「共感」と「断絶」に よってこそ定義されるべき存在なのである。

時間が経つにつれて、自分と他者を隔てる「壁」は、ますます強固なものとなる。もはやそれは「距離」ですらも測れなくなる。震災で受けた「傷」は人によって大きな格差が存在するのだとわかっているにも関わらず、その個々人の受けた「傷」の大きさは、決して目には見えないからだ。いま目の前で笑っているその人が、いったいどのような気持で笑っているのかが判断が付かなくなる。楽しそうに笑っている彼は、もしかしたら肉親を、友人を、故郷を、いままで築いてきた様々なものを、震災で失った人なのかもしれないのだ。そんな「傷」を負った人々がまわりにたくさんいるハズなのに、その「傷」自体は目に見えないという状況に、大いに戸惑わされる。

そして言葉が使えなくなる。どんな発言も、言葉通りの意味には受け取れなくなる。
原発事故の進行が、それにさらなる拍車をかける。複雑化していく世界の様相とは反比例するように極度に単純化された言葉が盛んに飛び交い、その粗雑さや性急さに眉をひそめつつも、どんな立場からの発言もそれが発せられる理由が「察せられてしまう」ことが、事態をより複雑化する。いまこそ言葉を発しておかなければならないという焦燥感と、発した言葉がどのような立場にいる人にどのような意味をもって届くのか、そしてそのことがどのような重大な結果を引き起こすのかわからないという怖れの狭間で、文字通り「言葉を失う」。
あの頃ほど言葉の不可能性を感じたことは、いままでになかった。

しかしその状態も時間が経つにつれ、だんだんと解消される。つまり「元に戻ってくる」。震災から10カ月近く経った今では、言葉はその機能の大半を取り戻し、「他者」もまた以前あったような抽象的な存在へと戻ったように感じる。しかしもちろん震災によって受けた「傷」はまだ消えずにそこにあるのだろうし、「壁」も見えなくなっただけで依然存在するのだろう。
いや、そもそも震災の前から「傷」は各々のうちに存在し、「壁」もずっとそこに在り続けていたのだろう。震災はただ、普段は立ち込めている霧を一瞬だけ晴らし、世界の在りのままの姿を我々に見せただけなのではないだろうか?

この体験が自分に与えた影響がなんだったのか、それは未だよくわからない。震災の前も後も、つまり「他者」の存在を思い知らされた後も、自分の制作は変わることなく「“自分”がなにを生み出せるか」ということだけを目的に続けられたのだった。しかしいったい「自分」とはなんなのか? それに拘ることにどんな意味があるのか? そんな根源的な疑義も頭を過りはするのだが、いまは未だかたちとなっては表れていない。結局のところ俺はまだ「自分」のことさえもわかっていないのかもしれない。
いまわかっていることはただ、粘り強く描き続けていくことでしか、自分は前には進めないであろうということだ。粘り強く、結局前に進むためには、それしか方法はないような気がする。そのことを、様々な場面で痛感させられた一年でもあった。


そして、今年最後の日記としてナニヨリモ記しておかなければならないことがある。それは遂に今年は、英文の日記を一本も書かなかったということだ(!)。
この件に関しては「粘り強く」もクソもない。看板倒れもハナハダシイ。深く反省して、来年は少し考え直さねばならないだろう。

posted by 3 at 21:36| 日記

2011年08月04日

彫刻のかたち

今年もまた「夏休み子ども科学電話相談(NHKラジオ第1)」の季節になった。去年この番組のなかである子どもが「岐阜は日本のなかにあって、日本は地球のなかにあって、地球は太陽系のなかにあって、太陽系は銀河系のなかにあって、銀河系は宇宙のなかにあるけれど、では、宇宙は何のなかにあるのですか?」と質問したのが印象深くて、このブログでもそのとき考えたことを日記として書いたのだけど、ふたたび夏がめぐり来てまた「宇宙の外側」について想う。
たとえば、いまから百億年くらい前にビッグバンを起こして現在も膨張をつづけているという“それ”のことではなく、“それ”の外側の世界をも含むあらゆるものの上位概念としての「宇宙」といったものがもし存在するならば、それはいったいどんなかたちをしているのだろうか?
「宇宙の外側」や「時間の始原」、あるいは死後の世界も含む「生と死の謎」といった問題は、人間の想像力を超越しているのと同時に、我々がいま、ここにいる「この世界」の存在の秘密でもある。科学も、哲学も、宗教も、芸術も、究極にはその謎を解明するためにあるのではないだろうか?
でもどんなに高倍率の天体望遠鏡が発明されたとしても、自分が生きているあいだに人類が「宇宙の外側」を目にすることはないだろう。宇宙の外はおろか、地球の外にすら行くことはないであろうこの俺は、したがって自分が生きているこの場所のなかで、その「てがかり」を探すしかない。


先日、銀座のギャラリー椿でコイズミアヤの個展を見た。
その作品はとても変わっていて、それは木でできた彫刻なのだけれど、人によっては工芸の細工品と見るかもしれないし、あるいは人によっては建築模型と見まちがうかもしれない。
作品は大きく分けて三つのシリーズがあって、白く塗られた開閉式の箱のなかに小さな景色が封じ込められている作品。筒状の直方体に雨どいや階段を思わせるようなものが組み合わされて建物のようにも見える抽象と具象の中間にあるような作品。そして様々な形態のパーツが取り外し/嵌めこみして直方体から建築模型のようなかたちへと「組み立て」可能な作品。
それぞれに数理模型や建築模型を思わせる厳密さや規則性をもっているようで、その反面、ひとの手のぬくもりを感じさせるあたたかさも感じる。その作りはたいへん緻密で、ひとの手によるぬくもりを感じさせつつも、ひとの手によるものとは思えない厳密さを感じさせる点は、形状だけでなく、その仕上げにもあらわれている。

これらの作品を見ていたとき、なぜか若林奮の彫刻を連想した。
主として鉄を素材として使い、サイズ的にも重量的にも重厚長大なイメージの強い若林奮の彫刻と、片手でも持てる程度の「ミニチュア」なコイズミアヤの木製の作品は、ともすれば相容れないものと思われるかもしれない。
しかし自分は、若林奮の彫刻に感じる物語性や叙情性ときわめて近いものを、コイズミアヤの作品にも感じた。そしてそれは、物語や叙情の「内容」が似ているというだけでなく、それ以上に、その「語られかた」が似ていると思うのだ。

自分にとって若林奮の彫刻ほど、物語性に富んだ彫刻は他にない。その「物語」は、彼の彫刻が表面的に「模しているかたち」ではなく、たとえば鉄に浮いた錆による模様や硫黄の痕といったディティールのなかに「読み取れる」ように感じる。つまり彫刻がなにかの物語に基づいたかたちをしているというのではなく、「物語」は彫刻の内部に存在する。それは特定された物語ではなく、見るものの想像力によって無限の可能性を持つ「物語」だ。
若林の彫刻の持つ強烈な異物感とストイックな佇まいが、見るものの想像力の射程を極限まで拡張するのだと考えられるが、「その感覚」を言語化するのは難しい。蟻のような視点で彫刻のなかに「入って」その表面を巨大都市のように辿り、目の前に置かれた見知らぬ物体によって変貌された空間を「引いて」眺める。ミクロ/マクロの振幅の大きい視点移動のなかで、作者の手による作為なのか、それとも自然による痕跡なのか判別のつかない多彩なディティールを追っていると、「物語」は自然とそこに読み取れてくる。それはやはり「物語」と呼ぶのが一番しっくりとくる感覚で、だから自分にとって若林奮の彫刻は、無限の奥行きをもった景色のようにも見え、汲みつくせぬ書物のようにも見える。

以前「物語の彫刻」と題された展覧会が開催されたとき、「物語=具象」という狭い考えにとらわれた展示内容を見て、ひどくがっかりさせられた記憶がある。「何を象っているか」という表面上のモチーフのレベルで、彫刻や絵画で表現できる世界が留まってしまうなら、なんとつまらないことだろう。「フォトジェニック」でおしまいならば、それは飾り物以上のものにはなるまい。
優れた作品はそれが象っている形象や内容以上に、そのなかに無限の世界を現前させる。無限の可能性をそのなかに秘めている。若林奮の彫刻は、その最たる例だろう。

そして、コイズミアヤの作品にも、それと似たようなものを感じる。
つまりそれらの作品が「なにに見えるか」とか「なにに似ているか」といった表面的なかたち以上に、たとえば風景を模したミニチュアな景色が、ぱたんぱたんと閉じられて、四角い「なにもない」箱へと戻った瞬間に覚えるあの驚き(実物を見たことがないので想像だが、プラド美術館にあるヒエロニムス・ボスの『快楽の園』の両翼が閉じられて、あの天地創造時の地球の絵があらわれたとき、きっと同じような感覚を抱くのではないだろうか?)や、組み立て式の作品が、音もなくすっ、すっと嵌まるべきところに嵌まり、また分解されて取り出されるあの「滑らかさ」のなかに、コイズミアヤの彫刻の「かたち」はあると思うのだ。

それらは目に見えている具体的なモチーフや形態を越えて、言葉にも、形にもできない「かたち」を、そこに現前させている。
そして、もし「宇宙の外側にある宇宙」といったものにかたちがあるとすれば、それはこんなかたちなのではないかと、ミニチュアサイズの小さな彫刻を手にしながら、想った。



コイズミアヤ展「組み立て/Overflow(コップの水があふれる様について)」
ギャラリー椿(2011年7月23日−8月6日)
http://gallery-tsubaki.jp/2011/0723/07023.htm

posted by 3 at 21:45| 日記

2011年05月12日

“世界”との距離

先日、練馬区立美術館に「PLATFORM2011 浜田涼・小林耕平・鮫島大輔−距離をはかる」を見に行った。
「PLATFORM」は昨年から始まった現代美術の新進作家を紹介するシリーズで、今年のテーマは「“私”と“世界”との距離」である。
ちなみに同時期に東京都現代美術館で開催されていた同じく同時代の現代美術作家を紹介するシリーズ「MOTアニュアル」の今年の展覧会タイトルは「Nearest Faraway|世界の深さのはかり方」で、偶然にも二つの展覧会のテーマとタイトルは非常に似通っている。

しかしテーマこそ似ているものの、“世界”という言葉に対する意識や姿勢は、両展の企画者のあいだでは、かなり大きな差があるように感じた。
MOTアニュアル2011のほうは、作家の選択基準として挙げられた「身近な素材を使った表現」という括りがやけに即物的だったのに対し、「世界の深さのはかり方」に関しては曖昧極まりなく、「なんとなくそんな感じ」以上の意味は籠められていないように思えた。明確な主張や問題意識のもとに企画されたというよりは、感覚的に編まれたユルいキュレーションで、良くも悪くも“世界”に関する解釈は観客や個々の作家に投げっぱなしという印象だった。

それに対してPLATFORM2011のほうは、出品作家が少数ということも関係しているのかもしれないが、テーマに対する企画者の問題意識が前面にあらわれた展覧会だった。その意味ではMOTアニュアル2011とは対照的なキュレーションだったと言える。

選ばれている作家は三人。
どこにでもあるような、しかしどことは特定できない無記名的な場所を選んで絵画に描く鮫島大輔。様々な技法で被写体を不明瞭にするボヤボヤ写真の浜田涼。そして、近年はひたすら言語認識以前の世界把握を映像化しようと試みている(ように思われる)小林耕平。
「“私”と“世界”との距離」をテーマに同時代の作家を選ぶとき、その選択肢は無限にあるだろう。しかし絵画、写真、映像という異なるジャンルの作家三人を揃え、本展の企画者が提示する“世界”とはすなわち、かくも無記名的で、不明瞭で、不確かな、捉え難いイメージへと偏っているのである。

この“世界”との距離に対する偏向したイメージは、展覧会企画者からのひとつの問題提起なのだろう。三人の作家の描く“世界”との距離の不確かさは、同時代を生きる我々の持つ世界観の不確かさとも共通する。自分が生きている時代、立っている場所、見ている景色が、代替不能で必然的なものであるという確信の持てない不確かさ。生きることの意味や実感の希薄さ。出品作家たちが描く“世界”との距離感やイメージは、同時代人の心象を射ているように思える。

ただテーマの明確さや鋭さが、必ずしも良質な展示に結びつくとは限らないところが展覧会の難しいところで、PLATFORM2011も残念ながら満足できたとは言い難い内容であったことは明記しておかなければならない。
そもそも浜田涼のどれも似たようなボヤボヤ写真をあんなに広いスペースを使って紹介する必要があるとは思えないし、監視カメラ時代の作品から新作までを俯瞰する小林耕平の展示も無駄に難易度を上げているような煩雑な印象だった。この二人の作品を半分程度に絞って、二階の展示室にあと二、三人別の作家を追加すれば、展覧会の総体としてはもっと満足度の高いものになっていたのかもしれない。

ただし三人だからこそ「“私”と“世界”との距離」のはかり方についても、多様なあり方を提示するのではなく、今回のような偏った傾向のセレクトでひとつの問題提起を先鋭化させることが可能だったのだとも言える。
そしてそのことは結果的に、個々の作品や展示全体の印象をも超えて、俺の胸には強く焼きつけられることになったのだ。

それには、この展覧会の開催時期が大きく関係している。
すなわち、何カ月も以前から企画されていたのであろうこの展覧会が2011年4月にオープニングを迎えたとき、その前月に発生した巨大地震と原発事故によって、“世界”はもはや「無記名」ではなくなっていたからだ。

目の前に広がる景色は匿名的な景色ではもはやなく、それは紛れもなく2011年というこの年の、この月の、この日の、この場所の、代替不能なこの景色であり、自分の周りにいる顔のないぼやけた他者たちは、同じ箱舟に同乗する“縁”や“情”や“絆”を感じ合うべき顔の見える個人として鮮明化され、見知らぬモノとしてしか目に映ってこなかった世界の中のあらゆるモノが、揺るぎなき意味や言葉を主調して自分の人生や生命へと関わってくる。
一夜にして世界の解像度が上がってしまったような経験を経た後に見たこの展覧会は、むしろ“世界”に対する距離の激的な変化そのものを気付かせる結果となった。

いま思えば、あの“世界”に対する茫漠とした捉え難いイメージは、21世紀初頭の日本という地の、時代の盛りを過ぎた下り坂の黄昏や倦怠、世界の中心から外れ、忘れられていく場所における生きていくことの意味や実感の掴みづらさに直結していたのかもしれない。
しかし大地が震え、一夜にして世界のトップニュースの「現地」となり、歴史の「現場」となった目の前に広がるこの“世界”との距離を、今後我々はどのようにはかっていくのか?
そのことを明確に思考化させてくれたという意味において、この展覧会の持つ意味は大きかったと考える。



「PLATFORM2011 浜田涼・小林耕平・鮫島大輔−距離をはかる」
練馬区立美術館(2011年4月16日〜5月29日)
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/tenrankai/platform2011.html
posted by 3 at 20:22| 日記

2010年12月28日

2010年俺的展覧会TOP10

今年も手抜きで日本語のみで。
例によって選考基準は俺がどのくらい強くimpressionを受けたかだけの(つまり「日記」としての)展覧会TOP10。候補を書きあげてみたらざっと30個くらいあったんだけど、去年みたく「次点の次点」まで選んでそれを全部列挙するのも芸がないので(それに今年はTwitterで散々呟いてるし)、頑張ってちゃんと10個だけに絞ってみた。

あと、ゼンゼン公表とかしないでアナログに日記帳に記してただけだけど、俺がこの展覧会ランキングを付けはじめたのは1991年からなので、今年はちょうど記念すべき(別にすべきじゃないか;)20回目のTOP10となる。現物が手元にないからTOP10の詳しい内容自体は覚えていないが、でも映えある(ないねw)第1回の第1位は佐谷画廊で見た中原浩大の個展(世の中的にはフィギュアを画廊で初めて?展示した個展として有名なアレ)だったことは覚えている。
アナログの日記ももう二十年以上付けているが、それを読み返すことなんてまずない。しかし年末にこうしてTOP10を作ってあると、不思議に「そーか、あの年はこんなものを見たこんな年だったんだー」と思い出すいい契機になったりする。つまりこんな戯れ事でも、「日記」としてはかなり優秀だったりもするのだ(とか言いつつも、アナログ時代のTOP10は、既にその日記帳自体がどこにあるのかわからなくなっているのだけれど^^;)

まーそんな感じで、今年の俺の展覧会TOP10はこんな感じ↓



1位:「横山裕一 ネオ漫画の全記録:わたしは時間を描いている」 川崎市市民ミュージアム(4-6月)
2位:「橋本平八と北園克衛展」世田谷美術館(10-12月)
3位:「長島有里枝 SWISS+」SCAI THE BATHHOUSE(7-8月)
4位:「大友真志 Mourai vol.1-13」photographers' gallery +IKAZUCHI(1-12月)
5位:「橋本聡個展 行けない、来てください」アーカス・スタジオ(3-5月)
6位:「天狗推参!」神奈川県立歴史博物館(9-10月)
7位:「ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現」東京都写真美術館(10-12月)
8位:「ルノワール−伝統と革新」国立新美術館(1-4月)
9位:「カオス*ラウンジ2010破滅*ラウンジ・再生*ラウンジ」高橋コレクション日比谷→NANZUKA UNDERGROUND渋谷(4月、5月)
10位:「境澤邦泰個展」A-things(9-10月)



以下はそれぞれの展示についての感想と選んだ理由↓


1位:「横山裕一 ネオ漫画の全記録:わたしは時間を描いている」
今年は迷うことなしに、これが1位。当時この展覧会を見て感じた「ある感慨」を作者と自分を対比することで日記として書こうと思ったのだが、うまく書けずにボツにした。でもそこで言語化できなかった「何か」は、いずれ自分の作品に反映するというかたちで、昇華させたいと思う。


2位:「橋本平八と北園克衛展」
これはホントにいい展覧会だった。既に日記で書いたので詳細は割愛するが、でも客観的にみても、今年見た展覧会のなかではトップクラスの展覧会だった。


3位:「長島有里枝 SWISS+」
これもホントにいい展覧会だった。この展覧会の感想も日記として既に書いているけれど、最近美術館の図書室で長島有里枝の過去の写真集を何冊かパラパラと見てみて、自分にとって長島がいかに「苦手」な写真家だったかということをあらためて思い起こした。"家族"がテーマ、と聞いただけで無言で踵を返し足早に去っていくであろう俺のような人間にとって、長島有里枝という写真家は価値観も興味の対象もまるで異なる世界に生きている「異邦人」のような存在だったのだ。しかし、これはこと美術だけに限らないが、自分とは別の世界に生きているかのように思っていた「縁遠い」作家の作品が、ある日突然、価値観とか好みといった外面的な鎧をするりとすり抜けて魂へとダイレクトに届くような感銘をもたらしたとき、もともと「守備範囲内」にいる作家の作品に感銘を受けるのとはまた違った、なにか自分を取り巻く世界が少し膨らんで大きくなったようなそんな感覚を覚えることがある。俺にとって長島有里枝のこの個展は、まさにそういう体験だったのだな〜と今しみじみと思う。そして、なんだかんだ言いつつも俺が足繁く展覧会を見に出かけるのって、まさにこういう展示に出会うためなんだよなーと、あらためて実感した。


4位:「大友真志 Mourai vol.1-13」
一年を通して見てみれば、俺の今年の展覧会観覧における最大のトピックは、この大友真志による連続個展だったと思う。もともと大友真志は注目していた写真家だったのだが、その作家の一年を通しての連続個展という野心的な企画を漏らさず見られたのは僥倖であり、おかげで一年たっぷりと楽しませてもらった。内容的には序盤(とくにvol.2〜4)の凄まじい盛り上がりに対して、後半はやや淡々と進行した感もあったが、ただすべての展示を見終わったいまも、自分がこの長大なシリーズの全体像に対する正確な評価ができてるのか心もとない。いまいちど全体像を確認できるような機会があるといいのだけれど。


5位:「橋本聡個展 行けない、来てください」
この展覧会はやっぱり晴れた天気のいい日に行ったのが大きかったかなーと振り返ってみて思う。交通機関の接続がスムーズにいったことも。あとは会期中三回しか実施されなかった作家自身によるパフォーマンスのある日に行ったことも、大きかった。これが雨でも降ってる日で、バスがなかなか来なかったりして容易に会場まで辿り着けず、しかもパフォーマンスもなくて無人の展示を見て帰ってくるようであったなら、展覧会自体に抱く感想も、またずいぶんと違ったものになっていたかのようにも思う。
ただそうした展覧会特有のデメリット(?)というか、微妙に都心から離れた行き辛い場所で展覧会を開催するということの悪条件すらも、作者の「悪意」のように感じさせてしまうところがこの作家の本領であり、タイトルが示すようにこの展覧会のミソだったようにも思える。時によってはその「悪意」が空回りすることもあるけど、この展覧会に関してはそれがまさに絶妙だった。


6位:「天狗推参!」
なんと言っても「天狗」というテーマの面白さが勝因だろう。展示も規模こそそれほど巨大なものではなかったが、畏ろしさと親しみやすさの同居した天狗の両義的な側面を丁寧に紹介する良質なものだった。天狗の持つそのアンビバレンスな空気自体を、展示室に漂わせることに成功していたのも印象深かった。観客もすごく熱心に見ている人が多くて、なかには「自分たちは静岡県から来たのだが、静岡には天狗の寺として有名なナントカ寺があるんだが、天狗を扱った展覧会だというのにナントカ寺についてなにも触れられていないということはどーゆーことでしょう?」とボランティア解説のおじさんに詰め寄ってる人とかもいて、微笑ましかったw。きっと天狗に関する事象を全国隈なく集めたら、この何倍もの巨大な展示室が必要になるのかもしれない。
ただ、カタログはなかなかしっかりした作りでしかも値段が千円台前半という超良心的なものだったんだけど、ややフツーの展覧会カタログフォーマットに囚われすぎてる気もしたかな? とくに図版と解説がカタログの前半と後半に分離されてしまったのが残念。展示では文献のなかの天狗の記述がある箇所に印を付けてくれていたりしてわかりやすかったのだが、その感覚をカタログにも欲しかった。たとえば思い切って図版の制度には目を瞑って、江戸時代の天狗研究本を模した「平成の天狗大全」のような体裁にしてしまうとか、なんかそーゆー遊びがあっても面白かったのかも。まー滅多に展覧会のカタログを買わない俺が買ったという事実だけ見ても(ちなみに今年買ったカタログはこの「天狗推参!」と「橋本平八と北園克衛展」だけ)いかに俺がこの展覧会にコーフンしたかはわかるんだけど。


7位:「ラヴズ・ボディ 生と性を巡る表現」
この展覧会を見た当初の感想は「志の高い展覧会ではあるけど、“あと一歩”って感じかなー」といった程度のものだった。“あと一歩”と思った主たる要因は、メッセージ性の強い問題を扱った作品や展示が陥りやすい陥穽に、この展覧会も陥りかけているように感じたからだ。
展覧会の企画者である笠原美智子氏はカタログに所収された文章のなかで自身のことを「同時代を生きているというだけの“当事者”(つまり同性愛者でもHIV陽性でもなくエイズで肉親や友人を失ってもいない)」であると位置付けているが、俺はそれこそがこの展覧会の肝だったのだと思う。偏見・迫害の歴史的事実や大量の死といった「重い」要素を抱えた問題ほど「当事者」以外には、その問題に対する関心の重要性は認識していても、どこか「他人事」になってしまう。企画者である笠原氏が「同時代を生きているというだけの“当事者”」であるとわざわざ告白しなければならないというその事実一つもってしても、そのことは容易に窺える。
だから本展の企画者が「同時代を生きているというだけの“当事者”」であるという事実は、この展覧会を「エイズをテーマにした展覧会のステレオタイプ」に陥ることなく、当事者以外の人間にもこの問題やこの問題をめぐる表現を「他人事」としてでなく受け止めさせるための重要な鍵だったのだと思うのだ。どんなにそのメッセージが重要でも、ステレオタイプの陥穽にはまってしまうと、それはもはや当事者以外には「ステレオタイプ」にしか見えなくなり、「他人事」と化してしまう。ここに展示された作品が「当事者」以外のすべての人とっても「自分のこと」となることこそが、この展覧会が目指すところだったのではないだろうか。
展示を見た当初、俺が“あと一歩”と感じたのは、それが完全には達成されておらず、ややもすると「エイズをテーマにした展覧会」のステレオタイプに嵌りかけているような危険性をも感じたからなのだ。具体的に指摘すると、ハスラー・アキラのビデオ作品と、AAブロンソンの髭面の男が新生児を抱いている写真の作品に、俺はとくにそれを感じたのだった。
もちろんそれらの作品がこの展覧会の全体的な構成のなかで必要だったことは俺にも理解できる。彼らの作品がエイズをめぐる闘いのなかで陥った絶望から這い上がり得た希望や、そこを経てきたからこそ意味がある性や愛に対する肯定的なメッセージを表現したものであるということも分かる。さらにはエイズに関する世間の理解がまだ充分ではないことも、同性愛者に対する偏見が依然蔓延っていることも否定はしない。しかし彼らの作品の発するメッセージが疑いようもなく「正しい」のだと認めつつも、俺にはその「正しさ」こそがステレオタイプに見えてしまう最大の要因でもあると思うのだ。「正しい」メッセージはメッセージとしてはそれで(もちろん)いいのだけれど、それを「作品」へと昇華するのは至難の業なのだ。ともすればそれは「正しさ」ゆえにステレオタイプへと陥ってしまう(たとえそれが作者ではなく、見る側の責任だとしても)。
同じエイズ・アクティヴィスムでも、エイズ患者や同性愛者に対する偏見が露骨だった頃に制作されたデヴィッド・ヴォイナロヴィッチの作品などは、メッセージ性が前面に出ていても「作品」として充分見ることができる。ヴォイナロヴィッチの作品がプロテストのための手製の武器だとすれば、ハスラー・アキラの映像作品におけるストレートなメッセージは俺などにはどちらかというと「啓蒙」に近いように感じられてしまう。最後に「公共広告機構」のテロップが出てくるんじゃないかと思わず待ち構えてしまったほどだ。「正しさ」を「作品」へと昇華するのは、かくも難しいのである。
そしてこの二者の差こそが、現代のエイズ・アクティヴィストたちが直面している課題を表しているとも言える。彼らにとって依然闘うべき相手や問題は消滅していないのだろうが、80年代前半の状況などに比べると、それは非常に隠微なものになっているのかもしれない。闘うべき相手や問題が依然存在しているにもかかわらず、それらにプロテストする主張が「正しいこと」としてステレオタイプ化されてしまっているという状況こそが、実は彼らが現在直面している最大の敵なのかもしれない。その意味においては、これらの作品はエイズをテーマに置いたこの展覧会において必要不可欠なものであるとも言える。
しかし、エイズをめぐる問題を鑑みるに当たって外せない「必要不可欠」なそれらの作品があることによって、かえって展覧会自体が「エイズをテーマにした展覧会」のステレオタイプに陥っているようにも見えてしまうという、そういう捩れた悪循環もまたこの問題は孕んでいるように思うのだ。非常に難しい問題だし、その是非は一概には言えないのだけれど、でも俺が当初抱いた「あと一歩」という感想が、そこに発していたことだけは確かだろう。
しかしそうした感想にも関わらず、この展覧会には見終わった後もどこかあとを引く忘れがたい印象があったことも、また事実なのだ。結局叶わなかったが、「その感覚」を確認する為にもう一度展示を見に行こうと計画していたくらい「気になる」展示ではあったのである。つまり「あと一歩・・・」と思う部分も確かにあったが、それ以上に惹きつけられるものも、この展覧会にはあったということだ。
おそらく俺を魅了したのは、会場に漂っていたあの独特な空気感だったのだと思う。それは避けられぬ絶望的な死を目前にした作家たちが、残された短い生のなかで見たこの世界のかたちと、そこで最後に点した灯によって生み出された、終わりへと向かう絶望と生への希望のないまぜになった、あの凍えた炎を想わすような空気感である。そしてそれを感じることによって、俺のなかでは彼らが「エイズの犠牲者」というステレオタイプから、自分と同じ世界を生きる同胞としての「人間」へと変換されているのだ。つまり人間の死亡率が100%である限り、我々は「同時代を生きているという」理由だけではなしに、同じ死というゴールへと向かって生を歩む同胞としても、彼らの抱える問題の“当事者”であるのだ。
俺がそう感じられたのは、ひとえに作品の力なのだろう。「正論」の「啓蒙」では決して実現出来ない、「作品」だけが為し得るこの力を体感できたことこそが、俺にとってこの展覧会が忘れ難いものになった最大の理由なのだと思う。


8位:「ルノワール−伝統と革新」
今年は俺にとって「印象派再発見」の年でもあった。印象派の展覧会はメチャ混むし「通俗的」過ぎていままでどちらかというと敬遠しがちだったのだが、改めてその良さや斬新さにも気付いたのが今年だった。その象徴がルノワール展。どちらかと言うと(どちらかと言わなくとも)苦手(というか嫌い)だったこの画家への再評価をキッカケに、印象派全般にも目を開いていったのだと思う。
でも実は印象派の画家のなかで今年とりわけ俺が注目して見ていたのはルノワールではなくシスレーだったのだが、シスレーの作品は同じ国立新美術館の「オルセー美術館展」「ゴッホ展」、世田美の「ヴィンタートゥール展」、Bunkamuraザ・ミュージアムの「語りかける風景」、ブリヂストン美術館の「セーヌの流れに沿って」などで見たのだけれど、いずれもシスレーがメインの展覧会ではなかったので、それらの展覧会に含めてさらについでに便乗して三菱一号館美術館のマネ展や横浜美術館のドガ展も引っ付けて、その全部の代表としてルノワール展をランクインさせてみたという次第。


9位:「カオス*ラウンジ2010→破滅*ラウンジ・再生*ラウンジ」
今年は「カオス*ラウンジ」と銘打った展示をいくつか見たが、まずはじめに見たのが日比谷で開催された最初のカオス*ラウンジ展。これは初日の午前中(つまり始まってすぐ)に見た。そして翌月渋谷でやった「破滅・再生*ラウンジ」。これは会期中頃に一回、最終日の前日にもう一回の計二回見ている。もしこの「破滅・再生*ラウンジ」の一回目の観覧で終了していたならば、9位ではなくもっと上のほうの順位にランクインさせていたと思う。そのくらいのインパクトが両展覧会にはあった。
しかし会期中も展示が変化するという展示形態の弊害か、あるいはそもそもが「出オチ」に近い面白さでもあったために俺の目が慣れてしまったのか、二度目の渋谷展への再訪の折には、前週に見た展示が錯覚であったかと思うほど「ヌルい」展示へと堕していて、大いに困惑することになる。さらにはその後も俺は「カオス*ラウンジ」の展示を、7月のTWS本郷と10月のEYE OF GYREにおけるグループ展でも見かけることになるのだが、前者においてはもはやスッカリ形骸化し切っており、後者に到っては形骸化どころかもはや跡形もなかったという、その賞味期限の瞬間切れっぷりも印象に残った。12月に再び高橋コレクション日比谷で見た「【新しい】カオス*ラウンジ【自然】」展では、あいかわらず主宰者のディスプレイ能力の高さこそ感じたものの、やはりもはや既に「型」が出来てしまっていて、そこに新たな驚きを見ることはなかった。
思うに春に「カオス*ラウンジ」がもたらした衝撃というのは、未知なるものへの期待値の高さこそがその内実の過半だったのであり、「正体不明なワケワカラナイモノ」であったが故に「新しさ」も演出できたのだろう。しかし当然未知なる正体不明のモノも、素性が知られてしまえば未知でも「新しく」もなんでもなくなるわけで、春の時点ではアノニマスな現象であった「カオス*ラウンジ」も、特定の「型」やグループの固有名詞へと変化したときに、既にステージは次なる段階へと移行したのだろう。
グループとしての「カオス*ラウンジ」の活動がこれからどう進展していくかはワカラナイし、フツーに考えればまだ始まったばかりの新しい作家集団の「今後」についての評価など定めようもないのだが(来年1月にTWS渋谷で予定されてる展覧会はちょっと新たなパターンっぽい、のかも?)、しかしそれでもやはり個人的には「現象」の時点で一瞬の風のごとく終わっていたら面白かったのになーというのが素直な感想。でも、とりあえず「破滅」に到るまでの流れとそこで感じた面白さを考えれば、コレを2010年のTOP10から外すことはできないな〜というのもまた正直な感慨。


10位:境澤邦泰個展
ちょうどこの個展を見た頃、俺は「フツーにいい絵」について考えていた。ここで言う「フツー」とは、凡庸な、とか、際立ったところのない、くらいの意味で、にも関わらず「いい絵」であると認識できるものを「フツーにいい絵」と定義し、その代表的なサンプルとしてアルフレッド・シスレーを考えていた。つまり同じ印象派でもモネやルノワールの場合、あるいはセザンヌやゴッホならばさらに顕著だが、彼らの絵は疑うことなく個性的で、美術史に照らし合わせてその「革新性」も確認できる。モネやルノワールやセザンヌやゴッホの絵を「いい絵だな〜」と思って見るときには、その「いい」というプラスの評価のなかには、先に挙げた「個性」とか「革新性」とかに対する評価が影響している可能性は充分にある。しかし、シスレーの場合はどうなのか? 印象派の中心メンバーで典型的な印象派の画家と言われながらも、モネやルノワールなどの同輩たちに比べると「際立った個性」も「美術史的な革新性」も見劣りがするというのは、俺だけでなく既に確立された大方の評価なのではないだろうか。しかし、そうは思いながらも俺は(そしておそらく多くの人々が)彼の絵をどうしようもなく「いい絵」として感じてしまうのだ。ではその場合の「いい絵」の「いい」とはなんなのか? 見る側の「趣味」なのか? 画面内のバランスの作用なのか? 絵の具の擦り付けられ具合による所産なのか? つまり「いい絵、いい絵」と気軽に口にしつつ、しかし実際はその内実についてはほとんど論理的には語られてこなかった「いい絵」の「いい」の秘密が、シスレーの絵を自分が「いい」と思う秘密を突き詰めれば見付かるのではないか?と、そんなことをちょうど考えているところだったのだ。
そして俺にとって境澤邦泰の絵はシスレーにつづく「フツーにいい絵」について考える際の絶好のサンプル第二弾!のように思えたのだ。つまり俺はこの作家の絵をとても「いい」と思う。しかしその場合の「いい」は、シスレーの絵に対する「いい」と極めて近い感覚なのだ。つまり「フツーにいい絵」なのである。この作家が重要視しているだろうこと(セザンヌの絵の再解釈やモダニズム絵画の文脈など)を俺はほとんど理解していないし、理解しようとも思わないし、共感したいとも思わない。シスレーが印象派グループにおいて相対的に凡庸な画家であったように、俺にとって境澤邦泰の絵は相対的に分類すれば「時代遅れのモダニズム絵画」にしか見えない。「にも関わらず」、両者の絵とも、俺には圧倒的に「いい絵」に見えるのだ。この謎をぜひ解明したい!と意気込んだのだが、結局着想だけに留まり、未だなにもしていない。
ちなみにその後、境澤邦泰の絵は別のグループ展で、シスレーの絵もいくつかの展覧会で見る機会があったのだが、結局彼らの絵はゼンゼン「凡庸」でもなんでもなく、実は充分に「非凡」で「個性的」なのではないだろうか?と、思い直しているところ。そして(結局)その「非凡」で「異質」で「個性的」な部分にこそ自分は魅かれているのではないか?、と。なんか思いっきり卓袱台ひっくり返しているわけだが、でもそれはそれで面白いので、今後もこの画家には引き続き注目してみたいと思っている。

posted by 3 at 22:38| 日記

2010年11月24日

俺はなぜ絵を描くのか? − 「橋本平八と北園克衛展」を見て




世田谷美術館で開催中の「橋本平八と北園克衛展」が素晴らしすぎる件に関しては先日ツイッターでもつぶやいたが、その余韻を楽しむために図書館で思潮社の現代詩文庫『北園克衛詩集』を借りてきて読んでみた。
そのなかに「詩の新しいジェネレイションに」という克衛自身が書いた詩論がある。
文章の冒頭、彼は「詩人に三つのタイプがある」と説明する。
それは以下の三つだ。


A 詩を進化させるために書く詩人
B 自己の趣味として、あるいは詩によって何かしら自己の感情を排出するために書く詩人
C 大衆、あるいは自分のグルウプの賞賛を得るために書く詩人


克衛はAこそがその時代の文学的意義と価値とを持った真の詩人であり、世の詩人はすべてAへと進むべきだと説く。
この詩論の刊行は1941年だが(文中「一九三四年を発足するに当って」との記述があるので、書かれたのは1934年なのかもしれない)、これを詩人についての区分けでなく、芸術全般へと広げて捉えて考えれば、2010年の現在でもこの考え方は充分通用するだろう。
つまりそれは「芸術を進化させるために表現される芸術こそが真の芸術である」という、いわゆるモダニズムの根幹を成す思想だ。


詩の世界のことは皆目わからないので、美術を例にとって考えてみる。

たとえば日本の美術界には「日本画/洋画/現代美術」などという奇妙キテレツな区分けがある。最近は「美術」という言葉に「アート」なる語が取って代わるような勢いも見せているので、さすがにこの区分もやや古色めいてきた感があるが、それでもまだまだ隠然たる影響力は残っているだろう。
この区分のうち、現代美術は日本画や洋画に比べ圧倒的に世間の認知度が低く(つまりマイナー)で、一番お金にならない(つまり売れない)ジャンルとされてきた。最近では多少事情が異なるのかもしれないが、でも一般の認知度においても、市場規模においても現代美術が永年マイナーの位置を保ってきたのは事実だろう。

にも関わらず、その発生の当初から今日に到るまでずっと現代美術は、日本画や洋画に対して(さらに言えばその「美術」構図からは外れる工芸や書、手芸、イラスト、マンガなどなどに対して)ある種の優越感を抱いてきた、と言ったら驚くだろうか? 
でも、それは多少でも「現代美術」の内部を見聞きしたことのある人であれば否定しないであろう事実なのだ。もちろんすべての人が、とは言わないが、現代美術に関わる人間(特に作家)の多くは、日本画や洋画に対してなんらかの見下した思いを抱いたり、それを態度や言葉に表したりしたことが一度くらいはあるのではないだろうか?(たとえば「日展に応募しろなんて、オフクロはわかってないナーッ」とか^^)。

そしてある意味では、それは当然なことでもあるのだ。なぜならばその「優越感」は、「日本画/洋画/現代美術」という奇妙キテレツな区分けの成立要因そのものに関係しているからである。
だいたいちょっと考えてみればわかるが、日本画、洋画という主に絵の具を根拠とした区分に対し、「現代美術」というのは、あきらかに階層の異なった概念である。それが「現代に作り出されている芸術」という意味なのであれば、当然日本画も洋画も含まれるはずである。にも関わらず「日本画/洋画/現代美術」と並置するのであれば、その区分けにおける「現代美術」とは「日本画でも洋画でもない現代の美術」という意味に他ならないということになる。
結論から言ってしまえば、「日本画/洋画/現代美術」という区分における「現代美術」とは、日本画や洋画に対する差別意識によって成立している概念なのである。もちろんそれは日本画や洋画の側に立てば、「俺たちのカタゴリーには入らないなんだかワケワカラナイ半端モノ」という逆差別が成り立つのかもしれないが、「現代美術」という名称からしても、これは現代美術側の「選民意識」こそが作り出した区分けとして捉えるのが正解だろう。つまり日本画や洋画や自分たち以外のあらゆるジャンルの美術が「現代の美術」足り得ないという意識があって、はじめて成立する「現代美術」という自称なのである。
そして、おそらくその選民意識こそが、それこそ大正アヴァンギャルドの頃からずっと、市場も大衆の理解もないなかで、現代美術が脈々と生き続けてきたその原動力そのものでもあったのだ。

そして、その選民意識の根拠となるのが、上記の区分けで言えばAに当たる考え方なのである。つまり「芸術を進化させるために表現される芸術こそが真の芸術である」というモダニズムの思想だ。
ABC区分の美術バージョンにおけるAが現代美術であるとすれば、洋画や日本画は(「現代美術」側の論理で言えば)BかCということになるのだろう。
Bには他にも日曜画家からアウトサイダー・アートまでが含まれるだろうし、Cには大衆芸術(サブ・カルチャー)、コマーシャル・アート、あるいはそれこそコミケから公募団体まで幅広く含まれることになるだろう。
もちろん現代美術だって、自分たちの閉じた狭いグループ(現代美術業界)内での賞賛(美術館で展覧会が開かれたり、雑誌に載ったり、コレクションされたり、オークションで高値が付いたり、美術史に名前が残ったり)を得るために作品を制作しているのではないか?と穿つことも可能だが、ここで重要なのは本人たちが「自分たちはAである(=自分たちは芸術を進化させるために、芸術の進化の最前線で活動している)」と信じていることなのである。






芸術の進化を善とし、それ自体を芸術表現の目的とする思想はモダニズムの根幹であリ、モダン・アートの前提でもある。
しかし、果たしてその命題はほんとうに永劫普遍の真理なのだろうか?
その思想自体が「信じるものだけが救われる」一種の宗教のようなものではないのか?

俺がそんな疑問を抱くようになったキッカケが、実は冒頭でふれた「橋本平八と北園克衛展」だったのだ。


簡単におさらいしておくと、この展覧会は大正から昭和初期にかけて活躍し三十八歳の若さで夭折した異能の彫刻家・橋本平八と、平八の五歳年下の弟であり前衛的な詩人でありデザイン、編集といった多分野で活躍した北園克衛の兄弟二人展である。
会場をちょうど半分ずつに区分し、前半が橋本平八の、後半が北園克衛のそれぞれの個展と言ってもいいような形式の展示になっている。
平八は木彫90点に加え未発表の画稿やスケッチブックなどを、克衛は海外の研究者ジョン・ソルト氏所蔵のコレクションを中核に約700点の資料を揃えた、それぞれが質量ともに充実した展示で、全部を見ると展覧会二本分はあるボリュームと内容だ。

橋本平八の彫刻をまとめて見たのは今回の展覧会が初めてだった。その印象を一言で言い表すと「特異」ということになるだろうか? 全裸の少女像の全身に花の文様を刻み込んだ≪花園に遊ぶ天女≫や自然石を写実の極地を尽くして木彫で再現した≪石に就て≫といった異色の作品だけではなく、通常の人物や仏や動物を彫ったその他の作品においても、平八の彫刻は多かれ少なかれ同時代の他の彫刻作品に比べ、どこか少し「違った」感じを抱かせる。
いや同時代の彫刻作品だけではない。あらゆる時代のどの文脈に置いてみても居心地が悪くなるような、そんなどこにも収まり場所のないような「特異さ」が、平八の彫刻には漂っている。この感覚は、いったいなにに由来しているのだろうか?

平八の彫刻のほとんどは木彫で、そのすべてが一木から彫り上げられている。寄せ木から作った作品がないのは、木に宿る自然の力を重視しているためで、それは木に仏が宿っているという日本古来の仏像彫刻の思想と重なる(実際、平八は奈良にて仏像の研究をし、古代仏像彫刻を造形上の範としている)。
それを証明するかのように、平八の彫刻からは像が此の世に現れることへの畏れのようなものが伝わってくる。あたかも木の中にあらかじめ封じ込められていた像がその覆いを削ぎ落され此の世へと姿を現したかのような、彫刻家の作為よりも超自然的な奇跡を見ているような驚きが、そこにはある。

しかし彼の彫刻を「伝統彫刻」と呼ぶのは憚れる。それもまたどこか違うのである。言ってしまえば「近代」と「前近代」の双方が平八の彫刻のなかで同居し、相克しているような、そんな感慨を彼の彫刻からは抱く。平八の彫刻の持つ「どこの文脈にも居場所がないような特異さ」の源泉は、そのあたりにあるのかもしれない。
現に平八の彫刻からは、原始宗教に通じるような呪術性を感じるのと同時に、「近代」からの痕跡や、それをも超えて現代においてもなお革新的と思えるような時代を超えた斬新さをも見て取ることができる。
例えば自然石をそのまま忠実に再現した≪石に就て≫などは、石のなかに自然の神と仏が宿っているというアニミズム的な思想に基づいているのと同時に、石のなかに仏の姿を見て、それを何も手を加えずそのままの形で提示するその手法に、マルセル・デュシャンのレディメイドにも通じるモダン・アートとの類似性を見て取ることもできる。自然石をそのままの姿で技巧の限りを尽くして再現する姿には、自然の力に畏敬する「前近代的な」芸術家の姿も、少しでも他人と違った斬新なことをしようとする個性重視の「近代的な」芸術家の姿も、どちらも見て取ることができるだろう。
≪石に就て≫のような異色の作品でなくとも、多かれ少なかれ平八の作品には、木のなかに宿っていた像がそのまま姿を現したかのような呪術性と同時に、圧倒的に強烈な「橋本平八」という個性も感じるのだ。

平八の彫刻のなかの「近代」と「前近代」の揺らぎとは、言い換えてみれば表現の主体の揺らぎのことでもある。
つまり木にもとから宿っていた像が平八の力を借りて此の世に姿を現したとする「前近代的な」視点では、表現の主体は素材である木のほうにある。対して「橋本平八」という個性を重視する見方では、表現の主体では作者である平八個人にある。
この「近代/前近代」における表現の主体の揺らぎが、平八の彫刻においては顕現されているのだ。そしてそれこそが、平八の彫刻の「特異さ」に他ならないのではないだろうか?

平八の彫刻のなかに現れては消える「近代」と「前近代」の繰り返しに、いつしか固定観念として抱いていた「近代/前近代」の構図やモダニズムに対する理解が揺るがされていくのを感じる。
そしてその視点を次の克衛のパートへと持ち越すと、この展覧会は単なる兄弟展を超えた新たな相貌を見せ始める。


会場半ばでちょうど二分されたこの展覧会は、前半と後半では展示の雰囲気がガラリと変わる。彫刻や絵画が並べられた彫刻家である平八のパートに対し、雑誌や詩集、写真などの資料が並ぶ詩人にしてデザイナー、編集者でもあった克衛のパートの展示の外観が異なっているのは当たり前だが、平八が夭折していることを差し引いても、両者の展示のあいだには、同じ時代を共有した表現者とは思えぬほどの見た目の雰囲気の隔たりがある。
その違いを簡単に言ってしまえば、平八のアニミズムに対して、克衛のモダニズムということになるのだろうか。平八のパートが辺鄙な田舎か未開の僻地に漂うような呪術性に満ちているのだとすれば、克衛のパートは徹底的に都会的な洗練で統一されている。

しかし一見すると正反対にも見える二人の展示だが、よくよく見ていくと、なにか似通ったところがあるようにも感じられる。活躍した表現分野が異なり、見た目の雰囲気が正反対にも関わらず、単純に血を分けた兄弟だからという以上の共通項を、この異分野で活躍した芸術家二人に感じてしまうのだ。

たとえば平八の彫刻におけるアニミズム的な思想においては、表現の主体は表現される対象のほうにあった。彫刻家によるゼロからの「創作」ではなく、素材である木にもともと宿っていた像が顕現したかのように感じられるのが、彼の彫刻の持つ呪術性の最大の特徴だった。
しかし同じような表現の構図が、モダニズムの申し子のような克衛に対しても言える気がするのだ。克衛のパートの展示を見ていると、克衛の個人的な創意よりも、平八が木に宿った像を鑿で彫り起こすように、克衛も詩作やデザインで「モダニズム」という巨大な樹を掘り起こしているような、そんな感慨を抱いてしまったのだ。
平八のパートで生じた「近代/前近代」の揺らぎが、揺らぎようのないほどにモダニズム一色で染められた克衛のパートにおいて、今度はモダニズムそれ自体のなかへと揺らぎのさざ波を広げていく。疑うこともなく抱き付けてきたモダニズムに対する固定観念に、根本的な疑義が生じてくるのを感じる。
それは単純にこの展覧会を見るより前に俺が克衛の作品に親しんでいなかったことが原因しているのかもしれないが、しかし克衛のいかにもモダニズム然としたデザインや詩の形象を見ていると、個人の創意や創造がそこに入り込む余地すらないような、つまり「表現」は、個人による創作の以前にあらかじめ対象によって既に定められているような、そんな感覚を抱いてしまったのだ。

そして改めて詩集などで克衛の詩に触れてみると、あながちこの直感は的外れでもなかったような気がする。彼の視覚的形象を重視する前衛詩や抑制されたデザインは、やはり平八の彫刻と相通じるものがある。
それはある種の禁欲さということになるのだが、その禁欲が平八においてはアニミズムに、克衛においてはモダニズムにへと直結している。つまりは表現の主体性を対象の側に預けたような制作の姿勢と、そのなかで生まれる創意や個性の有り様が、この異能の芸術家兄弟のあいだで通底しているのである。

そして言い換えれば、平八と克衛の展示の相似は、そのままアニミズムとモダニズムの相似でもある。両者の違いとは単純に「信じているもの」の違いなだけではないか?という疑問がそこに湧いてくる。
未開で原始的だとされる呪術的な芸術表現も、より高度に進化したとされる現代芸術も、結局は「信仰」の対象が異なるだけで、表現の構図自体はさほど変わっていないのではないだろうか?
それがこの展覧会を見て、俺が得た大きな問いだったのだ。






その問いについて、芸術と信仰の関わりの面から考えてみる。


芸術の起源を考察する為には「芸術」自体の定義から始めなければならないが、モノスゴク大雑把に話を進めれば、その起源は生活に密着したものと宗教(信仰)に密着したものの二つに大別できるだろう。もちろん両者が入り混じってる部分はあるだろうし、単純な区分けはできないが、前者を「デザイン」、後者を狭義の「芸術」の祖先と見ることは可能だろう

芸術がその祖先として宗教(信仰)と密なる関わりを持つのだとすれば、そこからわかることは二つある。
一つは芸術表現にヒエラルキーが生まれるということ。もう一つは、そこでは表現の内容ではなく目的こそが重視されるということだ。

宗教(信仰)にまつわる芸術表現は多岐にわたるが(絵画、彫刻、建築、詩、音楽などなど)、それらの芸術表現は宗教(信仰)以外にも応用は可能だ。神々の姿を象っていた彫像は、いつしか為政者や貴族の彫像を生むようになるだろうし、祭儀のために描かれていた絵は、いつしか日常を彩るものとしても応用されるかもしれない。
そこで必要となるのが、表現のヒエラルキーである。宗教(信仰)のための芸術表現は、金持ちや大衆のための芸術よりも、より神聖で高貴でなければならない。そうでなければ信仰の意味合い自体が無効化されてしまうからだ。
もちろん「信仰」の対象は狭義の宗教にかぎる必要はない。国家の力が教会よりも強いときは、宗教画よりも国家の威信を示す歴史画のほうが、より高いヒエラルキーに据えられることだろう。先の大戦における戦争画の事例などを思い浮かべれば、それは容易に理解できるはずだ。信仰の対象が異なるだけで、その芸術の成り立ちの構図自体は、宗教画も戦争画も変わらない。

そして当然ながらヒエラルキーの順位を決めるのは表面的な表現の巧拙などではない。それは必要要素である場合もあるが、ヒエラルキーの順位を決める第一義ではないのだ。
芸術のヒエラルキーを決定する際、もっとも重要視されるのは表現の目的である。つまりはどんなに技巧的に優れていても、大衆の娯楽のために描かれた絵は、信仰のために神々に捧げられた絵よりも上のヒエラルキーに置かれることはないのだ。
もちろん時代や場所によって目的の中身は変わるだろうが、「目的」が第一義とされる点だけは変わらないのである。

そう考えてくると、原始的な信仰に基づくアニミズムと、より進化した芸術であるとされるモダニズムが、表現の構図として相似形にあるのも当然のことのように思われる。
つまりモダニズムは芸術にとって、信仰心の衰えによって衰退した既存の宗教に成り変わる「新しい宗教」だったのかもしれない。

先の詩論のなかで北園克衛はAタイプ詩人(即ち「詩を進化させるために書く詩人」)であるためには、「非常に明敏な頭脳を要すると同時に、優れたエスプリを持っていなければなら」ず、そのためには何よりも「勉強しなければならない」、そしてその努力は「並大抵の努力では持続できないもの」であると強調している。
現代においても、なにかと言うと若い芸術家たちに向かって「勉強しろ勉強しろ」と小言のように言う有名アーティストがいるが、モダン・アートにおける「勉強する」こととは、案外伝統宗教における修行と同じような意味合いを持っているのではないだろうか?
信仰とは、ただ外から与えられ、安穏と過ごしていけるようなものではない。信じるためには、常にその信仰心を苦難に晒し、それを乗り越えることで信仰を深めていかなければならないのだ。たとえばそのためには、清貧や禁欲を貫いたり、宗教的な儀礼で日常生活を束縛したり、あるいは山に籠ったり、滝に打たれたりする修行も、つまりは信仰を確たるものとするために己の信仰心を鍛えているのだろう。
それはモダン・アートにおける「信仰」でも、同じだ。「勉強」とは即ち信仰を試すためにするものでもあるのだ。「芸術の進化」の正当性を、歴史、哲学、その他あらゆる学問の秤にかけてみて、試してみる。それでもなおその信仰が揺らがないとしたら、その信仰は真なのである。現代美術の世界において、手先の技術よりも勉強や理論の大切さが強調されるのには、こうした理由があるのだろう。聖書や仏典に通じているように、美術史や哲学などに通じていることが現代の芸術家であるための重要要素とされることも、いかに教義に対する理解が深いか、いかにその信仰が真正で嘘偽りがないかが宗教者としての徳の深さに繋がっているとされるのと、実は同じ理由なのかもしれない。

しかしそれにしても「芸術を進化させるために表現される芸術こそが真の芸術である」という教義は、芸術にとっては一大発明だったのではないのだろうか? なにしろ芸術はついに特定の宗教を離れ、芸術表現それ自身を信仰の対象とする宗教を得ることになったのだから。
自己批評性をその本質とすることで芸術は一種の永久機関となって、その進化を加速度的に速めていくことになる。


しかし、それもいつまでもは続かない。「目に見える進化」を様式の刷新というかたちで繰り返してきた現代芸術は、いつしか袋小路に入ってしまう。「目に見える進化」は前世紀の終わりごろには、目に見えて行き詰ってくる。

「芸術の進化」が行き詰ってきた理由は、いくつか考えられる。まずは様式の刷新がネタ切れしてきたこと。斬新さを競う競争はたいてい極端へと走り終わるものだが、20世紀美術に関して言えばその段階はもう60〜70年代あたりには終わっていて、その後の焼き直しによるリバイバルもあらかた一巡して、今世紀初めには「最新様式」と言えるような目に見える大きな潮流は潰えてしまった。
さらに「難解さ」に関する問題もある。「芸術の進化」における「新しさ」は、先行する芸術への批判というかたちで現れるが、そこでは難解さも新しさの重要な指標となる。多くの人々から愛され理解されるようになってしまった芸術は、既に乗り越えられるべき新しくない芸術なのである。そのためそれを乗り越えるためにやってくるさらに新しい芸術は、その時点ではまだ少数の選ばれた人々にしか理解できない「難解さ」を身にまとっているのが常なのだ。しかしその新しい芸術に対する理解も次第に広がっていき、やがては次に来る次世代の芸術に乗り越えられるべき対象となる。その繰り返しによって、芸術は進化の連続性を保ってきたのだ。
しかし進化のスピードが加速し様式の刷新が目まぐるしくなっていくと、新しい芸術への理解の浸透が追いつかなくなる。「難解で斬新な前衛芸術」が未だ「難解で斬新な前衛芸術」でいるままに、次の「難解で斬新な前衛芸術」にその地位の委譲を迫られる。多くの人々にとっては、理解不能な「難解なもの」が「難解なもの」を駆逐しても、どちらがどう斬新でどう新しくどう進化しているのかは判断が付かない。芸術の進化の最先端を知るのは、限られた数の専門的知識を有した人間だけとなってくる。その結果、進化の先頭にあるもっともアクチュアルな芸術は、一般の関心から離れた、狭く、閉じたものとなってしまう。

たとえば最近、地域の活性化のためのアートだとか、医療のためのアートだとか、アート・アクティヴィズムだとか、暮らしにアートをだとか、「アート」に現世的で目に見えるワカリヤスイ価値付けをしようという動きが多々目立つ。そうした動向は、芸術の進化が袋小路に入ってしまったことと無関係ではあるまい。
それらは一般とはかけ離れ、極めて狭く閉じた世界に自足してしまった芸術を、再び広く大衆のもとへと解き放とうとする動きであり、同時にそろそろ呪力が切れてきた「芸術の進化のための芸術」という理由に代わる、芸術を正当化するための新しい大義を探す動きでもあるのだろう。

無敵かと思われた「芸術を進化させるために表現される芸術こそが真の芸術である」という「宗教」も、そろそろその耐久期限を迎えようとしているのかもしれない。その影響力は依然まだ強く残っているものの、もう夢は半ば覚めつつあるといったところが目下の現状なのではないだろうか。





ここで唐突に(というか、ようやく)自分の話になる。

では、俺自身が絵を描く理由はなんなのか?
先のABC区分を、少し言葉を変えて再度書き記してみる。


A 芸術を進化させるために描く
B 自己の趣味として、あるいは何かしら自己の感情を排出するために描く
C 大衆、あるいは自分のグループの賞賛を得るために描く


さて、俺が絵を描く理由は、このうちのどれか?

ものすごーーーーく正直に言ってしまえば、A、B、Cのどの要素も同じくらい自分のなかにはあると思う。
「自分の絵はおそらく芸術ではない」などと嘯きつつも、自分がA的な思想から完全逃れられているとは思わない。どこかでまだ「芸術の進化」を信じており、賞味期限の切れた「時代遅れ」の絵を描くことを恐れている自分がいることは否定できない。
Bに関して言えば、自分の絵を「趣味」と割り切れるほど達観はしていないが、少なくともある種の内的必然性によって、制作へと掻き立てられているのは紛れもない事実だろう。
そして、C的な「色気」も、もちろんないわけではない。大衆的な人気も「グループ内評価」にも別に背を向ける理由なにもはない。

しかし、それと同時に、A、B、Cのどれも自分が絵を描く理由としては違う気もするのだ。
A:いまさら「芸術の進化」を全面的に信じることは、やはり俺にはできそうにないし(そもそも自分の作品が芸術かどーかさえ疑わしいのに)、
B:かと言って内的必然性だけを理由に描いているというのも、少し違う気がする。それができるのはほんとうに自分の楽しみだけのために描く趣味人か、あるいはアウトサイダー・アートの作者だけだと思うが、どちらとも自分は違う(と思う)。
C:かと言って大衆的な人気や「グループ内評価」だけを目標に邁進するだけの割り切りもできていない(ホントは、それができれば一番いいのだけれど)。

結局この割り切れなさこそが、どの文脈にも上手く自分の表現を位置付けられない現状へと繋がっているのだろうが、それがわかっていてもできないものはできないのだから仕方がない。
信仰とは、つまりそういうものなのだ。頭で理解してるだけでは駄目で、心の底からほんとうに信じていないと意味がない。

では俺が信じてるものは、何なのか? 
いったいなにを「理由」に、俺は絵を描いているのだろうか?

正ーーー直に告白すれば、それに対する明確な答えを、俺はまだ持っていない。
でも、ひとつだけ思い付くとすれば、もしかしたらその答えを見付けるために、俺は絵を描き続けているのではないだろうか?
次の一枚を描けば、自分が絵を描くその理由が見付かるかもしれないと思いながら、描き続ける。あと一枚描けば自分の存在理由が、あるいは「この世界」の存在の秘密もが判明するのではないかと信じて、描く。

もしかしたら、それこそが俺の「信仰」なのかもしれない。

posted by 3 at 22:14| 日記

2010年09月09日

The outside of the universe

One day I listened to the radio program "Kid's science telephone consultation service in summer holidays". It was the program that scientists and specialists answered to questions about science children asked.
I was surprised at a question that one little girl asked.
The question was this.


Gifu is in Japan, Japan is in the earth, the earth is in the solar system, the solar system is in the galaxy and the galaxy is in the universe.
Then, in what is the universe?



"Gifu" is the prefecture where she lives. She started her question from where she stood.
I remembered that I also had the same question when I was a child. I had forgotten that I had the question until I heard her question.
I think everyone had the question once in childhood. And everyone becomes adults without getting the answer.

The cosmology specialist answered two things.
One, it seems that the universe is expanding with speed quicker than the velocity of light. Therefore, however you may use a high-powered telescope, you cannot see the end of the universe. In conclusion, You can never know what is on the outside of the universe.
Two, the word of "universe" also means "all of the world". Therefore, the words of "the outside of the universe" are meaningless.

I think he said nothing except he didn't know anything about it. He had no image about it. He cannot even imagine about it.
And, of course, we are the same as him. We the human beings cannot imagine about the outside of the universe. That's true.

The question the girl asked shows our view of the world. The important point is that a specialist of cosmology and an elementary schoolchild have completely same view. It is the view of the world all we have. And it shows the limit of our imagination.

To know about the outside of the universe is to know the secret of the world where we live. Although we can never know it, we never stop trying to know. I think that it is human's nature.
However, how can we know the outside of the universe?
As a cosmologist said, we can't see it through a telescope.
Therefore, we have to try in other way.

I consider some of human's acts which are not so productive at first glance may be related to it. For example, philosophy and some of Art are them.
Even if we use a high-powered telescope, we cannot see the outside of the universe, but we may be able to know it through drawing still life on a table. (For instance, possibly what Giorgio Morandi did was that.)

Human beings are the strange creatures. I think that it is only one living thing that considers about the outside of the universe.
In order to live, there are many important things to consider in the world, such as economy, politics, environment or else.
However, because I was born as human being, I would like to spend my lifetime in order to know what is on the outside of the universe.

posted by 3 at 22:16| Diary