2015年12月30日

今年印象に残った展覧会十選2015

今年は日本語で。

例年ならば見逃さないようにしている大型展や話題の展示も、今年は自分の気が向かないものには極力足を運ばないように努め時間の節約に励んだ。結果として見た展示の数は去年までと比べて大幅に減っている(半分くらい?)はずなのだが、こうして年末恒例行事として印象に残ったものを数えあげてみると十指はおろか足の指を使っても足りず、十展を選ぶには例年同様必要以上に懊悩呻吟してしまった。
いつもならばここからTOP10のリストを作るのだが、今年は順位付けするのが難しかったため十選ということまでにとどめた。「日記」としての精度を上げるため、十選には入れられなかったその他の印象深かった展示と、昨年に引き続き敢えて選ぶ「悪い印象」の展示もオマケで付け加えた。



10 of most impressive exhibition (見た順)

「イエラ・マリ展 字のない絵本の世界」板橋区立美術館(2014年11月-1月) URL
「西原功織 4コマダイアリーとその他」A-things(2014年12月-3月)
「微笑みに込められた祈り 円空・木喰展」そごう美術館(2月-3月)URL
「マグリット展」国立新美術館(3-6月) URL
「北島敬三 “UNTITLED RECORDS Vol. 5” 展」photographers' gallery + kula photo gallery(5月)URL
「没後10年 長新太の脳内地図展」ちひろ美術館・東京(5-8月)URL
「スサノヲの到来」渋谷区立松涛美術館(6-7月)URL
「田代一倫 椿の街 Vol.3」photographers' gallery + kula photo gallery(7-8月) URL
「横浜美術館コレクション展 2015年度第2期 戦後70年記念特別展示 戦争と美術」横浜美術館(7-10月)URL
「若林奮 飛葉と振動」神奈川県立近代美術館葉山館(8-12月)URL


The other impressive exhibitions (見た順)

「グエルチーノ展」国立西洋美術館(3-5月)URL
「パランプセスト―重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き vol.7 青野文昭」gallery αM(2-3月)URL
「ポコラート全国公募展vol.5」アーツ千代田3331(6-7月)URL
「モダニズムへの道程 写真雑誌『白陽』に見る構成派の表現」表参道画廊(6月)URL
「鉄道遺構・再発見 」LIXILギャラリー(8-11月)URL
「ループホール10周年記念展」府中市立府中グリーンプラザ分館ギャラリー(9月)URL
「生誕200年記念 伊豆の長八」武蔵野市立吉祥寺美術館(9-10月)URL
「諏訪未知 ドローイング / interior」」A-things(9-11月)
「アルフレッド・シスレー展」練馬区立美術館(9-11月)URL
「小林耕平展 蓋が開かない、屋根の上の足音」山本現代(10月)URL
「鴻池朋子展 根源的暴力」神奈川県民ホールギャラリー(10-11月)URL


Bad impression (敢えて選択)

「速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち」世田谷美術館 (5-7月)URL
「すごいぞ、これは!」埼玉県立近代美術館(9-11月)URL



以下、覚え書き。


◎「イエラ・マリ展 字のない絵本の世界」

見た時点での感想は既に書いているが、シンプルながら洗練された会場デザインが印象的で、ほぼ一年近く経った現在でも展示室の中ほどに立って作品を見回したときの感覚などが鮮烈に残っている。そしてなんと言ってもあの「世界の字のない絵本」特集コーナー! まったくもって俺パラダイス状態で目からヨダレが垂れまくりだった。もし「字のない本」だけを集めた図書館があったらこんな感じかも…と思わず夢想してしまう。


◎「西原功織 4コマダイアリーとその他」

現代において絵画表現を追究しようとするものにとって「何を描くか?」という問題は、「何を描いてもいい=特定の画題を選択する必然性がない=何も描くものがない」という巨大な暗黒へと陥る躓きの石となる。その不可能性を回避するため、画家たちは様々な個人的、社会的、歴史的な「必然性」を捻出し、兎にも角にも「描くこと」を可能にしようとする。「描かれるべき理由」の欠落した絵は、コンテンポラリーたりえないだけでなく、そもそもこの世に存在する理由のないものとされてしまうからだ。
しかし今年初めに二つの個展を連続して見る機会があった西原功織という画家は、それらの展示から判断する限りその「何を描いてもいい」という苛刻な虚無へと敢えて身を晒しているかのように思われたのだ。これはちょっと気が遠くなるくらい恐ろしいことなのである。そしてそれが「恐ろしいこと」であることを十分に自覚したうえで、敢えてその苛烈へと立ち向かう修験者のような態度を、自分はこの画家の作品から感じたのだった。
まず最初に見たのは「パランプセスト―重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き vol.6 西原功織」(gallery αM 1-2月)である。西原の名前は以前から耳にはしていたものの、作品をまとめて見るのはこの個展が初めてだった。その作品は想像していた以上に面白かったし、展示の印象もさることながら奥の部屋に置いてあったポートフォリオ(膨大な作品のアーカイブ)に大いに興味を引かれた。そこで余勢を駆って同じ時期に開催されていた本展にも足を伸ばしてみたところ、こちらの展示はさらに面白く、結果的に今年もっとも印象に残った展示の一つとなったのだ(順位付けはしなかったが、間違いなく一位候補のひとつである)。
展示の主となる作品《4コマダイアリー》は、四コママンガ的フォーマットで作者の日々の出来事を描いたドローイングである。それほど大きくない紙(A3くらいだったかな?)に水彩絵の具とペン(鉛筆だったかな? 記憶が…)で描かれている。作品は一日一枚のペースで毎日制作されているので、作者の日常(家族、とくに子どもネタが多かったように記憶する)や時事ネタ、制作への考察などがリアルタイムで記録され、タイトルどおりこの作品が「ダイヤリー(日記)」として機能していることがわかる。展示では横並びで七枚ごとに折り返すようにして壁一面に配置されていたため、おそらく平日週五日勤務の仕事に就いているのだろうと思われる作者の生活パターンなども一目で把握できてしまう(土日に当たる縦列が、間に挟まっている平日五日分の列の絵と比べ、明らかに描かれている内容が異なるので)。紙面を四等分してできた「四コマ」の使われ方は日によって様々だが、一場面のみの絵ではなかなか伝えづらいであろう画家のその日の心情や行動の説明に繋がるなど、どの絵でも面白い効果を上げていた。
本展ではこの《4コマダイアリー》に加え、抽象絵画の作品(αMの個展で展示されていた作品とおそらく同じシリーズ)も何点か展示されていた。こちらはうって変わって巨大なキャンバスに油絵具(アクリル絵具?)という重厚なメディアである。そこに何が描かれているかはわからないが、その何が描いてあるかのわからなさも含め、イカニモ「(現代)抽象絵画」といった風の作品である。
しかし典型的な「抽象絵画」として見たとき、これらの作品には何とも言いようのない居心地の悪さも残るのだ。そのイカニモな現代絵画風の抽象的な絵柄からは、どこかメタ的な雰囲気も感じ取れるのである。つまり「“何が描いてあるかワカラナイ抽象絵画”というイメージ」を描いた絵画のようにも見えるのだ。
おそらくそれはこれらの絵に一般の抽象絵画が持つ「描くべき対象を絞り込んでいった結果辿り着いた感じ」が感じられないからではないだろうか。絵画の歴史における抽象絵画の誕生が、画面上における要素の抽象化、単純化、最小化によって生まれたものであるように、その基本は「描くべきものの絞り込み」にこそあるのだろう。枝葉を省きエッセンスへと煮詰め、最小をもって最大を語ろうとするその態度は、画家が「何を描いてもいい=特定の画題を選択する必然性がない=何も描くものがない」という暗黒を回避するためのひとつの方策であるとも言える。
しかし西原の抽象絵画から受ける印象は、それとは正反対のものなのだ。つまり無数にある選択肢の一つとしてその抽象的なイメージが「たまたま」選ばれているだけのように感じられるのである。それは自分がこの画家に抱いたイメージ、すなわち「何を描いてもいい」という暗黒に敢えて身を晒しているという印象と重なる。つまり「何を描いてもいい=特定の画題を選べない」という虚無を前にしては、全ての「絵に描けるイメージ」は等価になるからだ。それは抽象化によってより広い世界を、究極には「全体」をも照射しようとする本来の抽象絵画の持つベクトルとは相反するものだろう。西原の抽象画はむしろ「部分」をこそ描いているように見えるのである。その「部分」はどこまで行っても「部分」のままで、決して「全体」に辿り着いたり、その縮図になったりするものではないのだ。
そのような態度はニヒリズムでもあるのだが、しかし西原の絵からネガティブな印象は受けない。むしろその見えない彼方に何があるのか探ってやらんとばかりに、虚無の只中を先へ先へとどんどん突き進んで行っているような勇猛さを感じる。その印象はキャンバスに描かれた巨大な抽象絵画作品と、それに対峙するようなかたちで展示された《4コマダイアリー》を比較したときに確信へと変わる。というのも、サイズも、メディアも、モチーフも、全てが正反対に見える二つの作品が、その本質において実は「同じ」であることが見て取れるからだ。具体的に言えばそれは色や形が織りなす画面の抽象的な構成や、作品を壁に隈なく敷き詰めたときに生まれる視覚的な強度などであるが、そうした画面から受ける「絵画」としての感覚がこれら二つの作品ではまったく同一のものなのである。
つまり西原の卓越した絵画センスと画力は、卑近な日常を紙と水彩で(しかも「四コマ」という非絵画的フォーマットで)描いた「日記」を、伝統的で重厚なメディアで描いた巨大な抽象絵画作品と同じ地平にある「絵画」へと昇華させているのだ。そのとき「何を描いてもいい=全ての画題は等価である=特定の画題を選択できない=何も描けない」という暗黒は、画家の常人離れしたストイックな姿勢とその絵力によって「すべてが絵画になりうる世界」へと反転させられているのである。
おそらく展示のコンセプトとしては同じようなものが目指されていたのだと思うが、作品としてはαMで展示されていた映画のワンシーンを描いた油彩画よりも、この《4コマダイアリー》のほうに自分はだんぜん魅かれた。作品の種類(個人の日記)からして非売品だったのだと思われるが、正直これほどまでに所有欲をそそられる作品に出会ったのも久しぶりなのだった(ポストカード形式の画集とかにすると凄くハマりそう…)。


◎「微笑みに込められた祈り 円空・木喰展」

この展覧会の感想は見たあとすぐにブログ記事にしようと思って書きはじめたのだが、上手くまとめられず結局反故にしたのだった。以下はそのときのメモである。
・内容豪華。とくに円空仏は見たことない珍しいものがたくさん出てた。平安時代の仏像を円空が修復してるんだけど、元の造形を無視してすり減った顔面にノミで思いっきり円空フェイスを刻んでる「修復仏」とか、一木の片面に阿弥陀仏、裏面に薬師如来を刻んだ一体で二度(今生も来生も)ありがたいリバーシブル仏像とか、他多数。
・円空仏は(おそらく木喰仏も)東博展示の劇的な照明効果のもとで見ようと、埼玉歴史博物館やそごう美術館のショボイ展示状況で見ようとマッタク見え方が変わらない。
・円空仏と木喰仏は全然違うが、その違いは前者をアヴァンギャルド、後者をアウトサイダー・アート(より正確にはナイーヴ・アート)とすることで説明できるか?
・あるいは両者の作風の違いを円空仏はカリグラフィードローイング(円空仏ほど「ドローイング的」な仏像は他にない)、木喰仏を水彩絵画に例えることで説明できるか?
・両者の作風の違いは、両者の「信仰」の違いに帰結すると思う←重要!
・円空仏に感じる山岳信仰な自然崇拝の念を木喰仏からはほとんど感じない。仏教的である以上に神道的な円空仏に対し、木喰仏はどこか「バタ臭さ」すら感じる。子安観音などはまるで聖母子像を連想してしまった。豊かな髪の毛を持った木喰仏は仏教僧というよりはキリスト教の聖者のように見える。
・全ての円空仏はそれぞれが異なるcharacterを持っているように感じる。それは円空が自己の外側(自然や彫刻される木)に宿る「気」のようなものを掴みそれを目に見える形で顕現させているからではないだろうか。つまり全ての仏像が異なるspiritを持つのである。それに対して木喰仏は全て同じcharacterを持つように見える。それは他でもない木喰自身なのではないか(実際は木喰は自身像をちゃっかり他の仏像たちと一緒に並べている)。それは自己を取り巻く対外世界へと向かう円空の外向きのベクトルに対し、木喰の信仰が彼自身のinner worldへと向かうものだからではないのか(それは木喰仏がアウトサイダー・アート=ナイーヴ・アートを連想させることの説明にもなる。)
・以上の見方が単なる自分の「信仰」の反映に過ぎないかどうか検証する←ココで挫折


◎「マグリット展」

この展覧会については散々書いて書き尽くしたので、とくに付け加えることはない。


◎「北島敬三 “UNTITLED RECORDS Vol. 5” 展」

津波に洗われ骨組みにだけになった建物の残骸を収めた「震災写真」をメインにフィーチャーしたVol. 1とVol. 2は衝撃的だった。作品数を最小限に絞った初回、二室を効果的に使った第二回と、「なにか凄いことが起こっている!」という手応えと期待感がそこにはあった。しかしその期待感は第三回目にして既に暗雲が立ち込めはじめる。「これってもしかして、こんな感じに時代も場所もばらばらに撮影された“匿名的な場所”の写真がずっと(予告では20回近く)続くのだろうか? だとしたら、それってメチャクチャ単調で退屈なのでは??汗;;;」
・・・といったところまでが「去年までのあらすじ」なのであるが、はたして今年になって開催されたVol. 4(2-3月)は、Vol. 3で自分が感じた懸念を裏打ちするような「相変わらず」の内容で、「このシリーズはもう見ないでいいかなぁ〜」と実はいったんここで挫折しかけた。しかし「あともう一回だけ…」と思って見に行ったVol. 5で完全に見え方が変わった。もしかしたらそれはVol. 3やVol. 4でも提示されていて、単に自分が気付かなかっただけなのかもしれないのだが、このVol. 5にして初めてこのシリーズで作者が意図しているものがようやく「見えた」ように感じたのだ。
この回で展示された写真は撮影年が1999〜2013年と幅広く、写された時代も場所もそれまでのどの回よりもバラバラだった。しかしその時代や場所は様々だが構図や被写体は酷似した写真を見ていると、並べられた複数の写真内のかたちとかたちが呼応し合って、そこで織りなされる建物の稜線が作るリズムなどに思わずハッとさせられるような面白さがあることに気付く。「匿名的な場所」と言っても、写真である限りそれは特定の時代にこの世界に存在した特定の場所の記録である。その「記録」と複数の写真が展示されることによってたまたま今この場所に生まれるかたちの呼応がミックスされて、時間と空間をシャッフルするような不思議な体感を生み出すのだ。その混合のなかへの「震災写真」の自然な溶け込ませ方も印象に残った。
このシリーズでは展示とともに毎回小冊子形式の写真集が刊行されているのだが、この冊子と展示の関係も自分にはずっと謎だった(そのとき展示されている写真が同時に刊行される写真集に掲載されているわけではないのである)。しかしその点に関してもこのVol. 5でようやくなにか作者の意図の端緒のようなものを掴めたような気がしたのである。というのも、この回で展示されていた作品7点のうち5点までが既に刊行されている写真集のvol.1と写真集vol.2に掲載されていた写真だったので、つまり同じ素材を使って展示と写真集という二通りの異なる表現が試みられているのではないかと第5回目まで見てやっと思い至ったのだ。写真集には一切撮影年および撮影場所の記載がないので定かではないのだが、なんとなく撮影した時間に沿って編まれているような気がする(ゼンゼン間違っているかもしれない) 。それに対して展示のほうは「匿名的な場所」の写真を時間と場所を織り交ぜて並べることで「見えてくるもの」を探っているのではないだろうか。実際にこの回の展示からは「写真」や「展覧会」の新たな領域を切り開いていくような、そんな息吹をも感じたのだった。このギャラリーは自主運営スペースということもあってか展示に長けた作家が多いのだが、そのなかでも北島敬三の展示の上手さは頭抜けているように感じるので、この展示の妙を見るだけでもあと残り十四回(?)を目撃し続ける価値は充分あるかもしれない。
ちなみに同じく今年開催された次のVol. 6(9-10月)は、メインの展示室のほうに「震災写真」をズラリと並べつつ、実は別室に展示した静的な写真のほうでより強い印象を与えるというこれまたやたらよく出来た展示で、おそらく内容的にもシリーズのアクセント回になるのだろうと推察されるのだが、来年以降に続く展開に期待を抱かせるに十分余りある内容だった。


◎「没後10年 長新太の脳内地図展」

没後の回顧展として2007年にそごう美術館で見た巡回展、あるいは2013年にちひろ美術館・東京で見た企画展に比較して、今回の展示はよりチョーさんの制作の秘密に迫るような内容だったのが印象的だった。自分としてはナンセンスの神様チョーさんの展示を今年見られたのは意味があったかも。


◎「スサノヲの到来」

一言で言えば、奇展w。見に行く前は同じ松涛美術館で昨年末に見た「天神万華鏡」(2014年12月-1月) のようにスサノオノミコトに関する絵画や歴史資料を集めた展覧会なんだろーなーと漠然と考えていたのだが、その予想は大きく外された。というかタイトルだけで事前にこの内容を予想するのはほぼ不可能だヨ^^; と言うのも、これは「スサノオノミコトに関するもの」ではなく、「スサノヲ的なもの」を集めた展覧会だったのだ。
では「スサノヲ的なもの」とはイッタイナンゾヤ?ということになるのだが、第一義的には(いや第二義的なのかもしれない…)当然「スサノオノミコトに関するもの」である。しかし同時にそれは一つの思想でもあって、おそらくこの国における王道(言うまでもなく天照大神〜天皇によって代表される)への対抗軸となるオルタナティブなもの全般を指すのだと思われる。スサノヲはその象徴であり、展覧会の企画者は「3.11」以降の混迷と闇を切り開くため太古から脈々とこの国の深層に息づいてきた「スサノヲ力」こそが必要なのだと説くのだが、展覧会の最終セクションの現代作家の人選などを見る限り、この「王道=天照大神vsオルタナティブ=スサノオノミコト」という構図は、既存の美術界の文脈に対する異議申し立てとしても機能するのだろう。
実際、その最終章の展示では黒川弘毅、多和圭三、若林奮といった「王道」の作家たちが、霊能系アウトサイダー画家や盲目の書家、あるいは「王道」の美術メディアでは目にする機会のない現代作家たちと肩を並べ、「王道」=コンテンポラリー・アートの文脈ではない「別の物語」のもとでは、彼らの作品がいかに異なった見え方をするかを見せつけている。ここは本展の見どころの一つである。
前半の歴史資料を集めたセクションでは、出口王仁三郎と平田篤胤を中核として全般的になんだか妙にオカルト寄りw。おかげで見たこともないような変なものがたくさん展示されていてメチャクチャ面白かった。もともとは巡回展で、去年の10月に足利美術館で開催されたのち、DIC川村記念美術館、北海道立函館美術館、山寺芭蕉記念館と回って松涛美術館はその最後の開催館だったのだが、この内容ならばどこかもっと広い美術館で見ればよかった…と後悔したほど。とは言え狭い会場に詰め込みに詰め込んで導線がズタズタになりながらの松濤美の展示もキョーレツで悪くなかった。
ただこの展覧会、面白いことは面白いのだが、ハッキリ言ってツッコミどころも満載なのだ。確かに「この国の王道」に対するオルタナティブとしてのスサノヲというアイデアは秀逸で面白いけれど、ともすればその「スサノヲ的なもの」を決定する基準が史実に基づくものから外れ、感覚に頼った恣意的な解釈へと偏り過ぎな気がするのだ。そもそも展示の冒頭から縄文土器が「スサノヲ的なもの」を代表する造形として提示されるのだが、当然のことながら縄文土器とスサノヲの「直接的な関係」なんてものがあるわけもなく、もうノッケから「史実とかゼンゼン関係ありません! あくまで俺定義の“スサノヲ的なもの”です! ニュアンス重視ですっ!」って言い切ってしまっているようなもので、ついていけない人はもうこの時点でナンダコリャ??で終わってしまうだろう。
そもそもがスサノオノミコト自体が神話的な存在なわけで、その神話的な存在が“実際に”どう崇められ、どう日本人の精神構造に影響を与えてきたかを示してこそ、初めて思想としての「スサノヲ的なもの」の信頼性も増すのだろう。その手順を省略してしまったら、やはりどんなに面白くてもオカルトであり、トンデモと言われても仕方がないように思われる。せめて前半だけでも「天神万華鏡」展くらいの堅実さがあればだいぶ印象も変わっただろうと思われるだけに惜しい。
まーとは言えこの志の高さと独創性は群を抜いてるし、間違いなく今年最も印象に残った展覧会の一つではあるだろう。


◎「田代一倫 椿の街 Vol.3」

この展示に関しても見た直後の感想をこのブログに書いた。田代一倫の前作《はまゆりの頃に》は、東日本大震災後の日々を生きるにあたってずっと自分の思考の背骨のようなものになっていた。自分の判断に自信が持てなくなってぐらつきそうになったとき、その場所に立ち返ることでまた姿勢を保ちなおすような、そんな存在にまでいつしかなっていたのだ。あの作品に出会っていなかったら、自分のものの見方はずいぶん違ったものになっていたかもしれない。
この展示も自分には今という時代を考えるにあたってひとつのぶれない視線を与えるような、そんな意味を持つ展覧会であったように思う。この作品もまた自分にとって「物を考える際に立ち返る場所」のひとつになったのだ。


◎「横浜美術館コレクション展 2015年度第2期 戦後70年記念特別展示 戦争と美術」

今年横浜美術館で見た企画展「蔡國強展:帰去来」(7-10月) は、おそらく自分の美術館展示における生涯最短滞在時間の記録を更新したように思われる。全部見るのに5分もかからなかったのではないだろうか。そのあまりの見応えのなさこそが逆に見どころになってしまっているかのような逆転現象すらもそこでは起こっていたのだが、続く収蔵作品展のセクションで本企画を見て蔡展のあっけに取られるほどの内容のなさが、実はこのコレクション展示をじっくり見せるための美術館側から配慮だったということに気が付いた(つまり企画展に見応えがあるとコレクション展のために費やす体力と時間が無くなってしまうため)。本命は、むしろコチラだったのである。
昨今の時勢を反映してかこのところ戦争と美術をめぐる企画はホント多いし、東京国立近代美術館をはじめコレクションを使って収蔵品展示のスペースでの企画展も珍しくなくなっている。ただ東近美が一昨年・昨年の「何かがおこってる」(2013年10月-2014年1月、Uが2014年6-8月)にせよ、今年の「誰がためにたたかう?」(5-9月)、「藤田嗣治、全所蔵作品展示。」(9-12月)にせよ、現在の社会状況に対するレスポンスとしての先の戦争期の検証であることがあきらかであるにも関わらず、それと同時に常になんらかの逃げ道を用意してあるというか、まともに正面からぶつかっている感じを出さないよう気を配っているように感じられたのに対して、この横浜美術館の展示は余分なエクスキューズの一切ないモノスゴク「直球」な企画であった。その直球さには「振れ幅」を演出するほどにはモノがないという裏事情もあるのかもしれないが、しかし結果的にはそれがプラスの方向に作用していたように思われるのだ。
自分が過去に見た「戦争と美術」関連の展示のなかではもっとも印象的だった「戦争/美術 1940-1950」展(神奈川県立近代美術館葉山館 2013年) や一昨年来の東近美の所蔵品ギャラリー内企画など、「戦争と美術」展のほとんどは作品や資料によって当時の時代状況や空気を再現することを展示の主眼としているように思われる。1940年代の各年を一室ごとに区切って見せていった「戦争/美術 1940-1950」はまさに当時の時間の流れ自体を展示空間に再現するような試みだったし、戦争記録画153枚という大物を持ってる東近美も、だいたいその切り札をクライマックスに配置して流れを作る時代の空気再現型の展示だった。それに対してこの横美の企画はそれらとは展示から受ける印象がやや異なっていて、実はそこが自分が一番面白いと感じたところなのである。
確かに本企画も他の「戦争と美術」展示と同じように、作品に並置して当時の印刷物などの資料をふんだんに並べられていた。しかしおそらく当時の状況や空気を再現できるほどの量の作品はないということなのだろう、表面上はとくに時代状況を反映したものではない作品もかなり混じっていたのだ。その大半は「いつもの横美のコレクション展で見かける作品」なのだが、しかしそれらの直接戦争とは関係ない作品も「戦争と美術」のテーマに乗せるべく、普段の展示にはない小さな工夫が施されている。というのも作品に付された作家紹介のキャプションに、その作者が戦争期にどのような行動を取ってその後どのような人生を歩んだかなどの情報が書かれているのだ。たとえば斎藤義重の《作品4》という1960年制作の作品には、斎藤が戦前のアヴァンギャルド運動のなかで展示作と同じような抽象作品を当時から既に制作していて、それが特高の捜索を受けるも検挙までには至らず、戦時中は一切作品を作らずに軍用工場などで働き、長い断絶期を経た後1950年代になって戦前と同じモダニズム的な抽象絵画で前衛画壇に返り咲いたことなどが記されている。
つまり展覧会の演出としては「いつもの横美のコレクション作品」の展示に、当時の時代状況を色濃く反映した作品や資料を間に挟み込んで時間の流れを作り、各作家紹介のキャプションにその作家が先の戦争にどのように対処したかが記されているという、言ってしまえばそれだけだけなのだ。しかし結果として、そこでは非常に面白いことが起こっていたのである。
というのも、他の「戦争と美術」系展示が美術作品を使って「あの戦争」や「あの時代」を描こうとしているのに対し、本企画ではその主客が逆転して、むしろ「あの戦争」のほうがそれぞれの作家の「本来の人間的な(または作家的な)属性」を顕わにするための(代替可能なひとつの)事象として機能しているかのように感じられたのだ。つまり先の戦争をめぐってのそれぞれの作家の姿勢やその帰結としての運命は、「あの戦争」という特定の事象によって引き起こされた特殊な出来事ではなく、もともと彼ら自身に本来的に備わっていたものなのではないかという視点がそこではもたらされるのである。そのとき彼らの作品のなかに見るべきものは「あの戦争」という災厄やそれに翻弄された運命ではなく、むしろ「あの戦争」が起こらなかったとしても他の事象によって結局は同じような方向にその作家の人生や制作は向ったのではないかと想像されてしまうような、そんな各人が持つ「本性」なのだ。この視点の逆転は(それが企画者の意図したものであろうとなかろうと)非常に示唆的なものに自分には思えたのである。
そして結果的にこのことは個々の作品に対する見え方を大きく変え、目垢が付くほど見慣れた「いつもの横美のコレクション作品」がこんなにも違って見えるものかと驚くほどの効果をもたらしていたのだった。それはコレクション展のあり方としては、この上なく「正しい」ものであると言えるだろう。


◎「若林奮 飛葉と振動」

2008年に開館から当時まだ間もない横須賀美術館で開催された若林奮の没後初の大規模回顧展「VALLEYS」は、自分にとって待望の展覧会だった。1995年に東近美で見た「若林奮展-素描という出来事」に人生変わるほどの衝撃を受けたにもかかわらず、結局自分の関心は若林のドローイングとその周辺のみに留まり、彼の本領である彫刻作品の魅力に気付くにはずいぶんと時間がかかってしまった。結果として作品に直接触れる機会であった重要な機会をことごとく逃し続け、気が付いた時には作家は既にこの世になく、亡くなる直前に開催された豊田市美術館や川村記念美術館での個展を見逃したことをその後何年にもわたってうじうじと後悔する羽目に陥っていたのである。
つまり横須賀美術館での「VALLEYS」は、何年も待った末ようやく訪れた自分にとって初めての「若林奮の作品と存分に向き合える機会」だったのだ。その前年に多摩美術大学美術館で開催された「若林奮 DAISY 1993-1998」展の内容が素晴らしかったことも「没後初の大規模回顧展」への期待をいや増させていた。まさに時は満ちたりだったのである。
しかし、そんな破裂しそうなほどに膨れ上がった期待をもって見た当の「VALLEYS」展は、自分にとってなんだか妙に満足できない展示だったのである。確かにそれなりの数の作品は展示されていた。しかもそれらは見たくてたまらなかった若林奮の作品である。彼の彫刻作品の魅力にも開眼した自分にとって、それらは目から涎が垂れるほど魅力的な作品だ。にも関わらず、この「なんかあんまり満足できない感じ」は何なのか? 絶対買おうと決めていたカタログも結局買わずに美術館を後にし、その妙な不満足感だけが喉元に刺さった魚の骨のようにその後もずっと残り続けたのだった。
振り返って分析すれば展覧会の内容以前に、美術館の前庭に若林の没後に設置された作品《Valleys》への違和感がまず先に立っていたようにも思われる。自分はこの作品を「ファルマコン’90」で見ていて、当時はもちろん若林の作品の魅力に開眼する遥か以前でチンプンカンプンだったにも関わらず、それでも幕張メッセの大会場に剥き出しの巨大な鉄板を並べたその威容だけは強く印象に残っていた。しかし、それが作者の意向だったとは言え鉄板に錆止めのメッキ加工が施され、横須賀美術館(通称:スカ美)の前庭の端のほうにぽつねんと置かれているその毒気を抜かれた様は、あまりに記憶とのギャップが激しすぎたのだ。そして作者自身が直接手掛けた最後のパブリック彫刻になったという府中市美術館の《地下のデイジー》のあの詩的で哲学的な佇まいと比べたとき「作者が生きていれば、こんなことにならなかったのではないか…」という思いが湧き上がるのを禁じえなかったのである。
そして今回、七年の時を経てあらためて企画された若林の回顧展「飛葉と振動」を見て思ったのは、そのとき感じた「作者が生きていれば…」という思いは意外と正鵠を射ていたのではないかということだった。横須賀美術館にしろ今回の神奈川近美葉山館にしろ、若林の存命中にそこで個展が開かれるとなれば、当然作者本人の手によるインスタレーションがそこではなされることになるだろう。しかし作者がすでに鬼籍に入っている現在に展覧会が開催されるとなれば、これまた当然ながらそこでは「作者の手による展示」は見られないのである。他の物故作家同様、我々は残された作品の展示から、彼の業績を偲ぶしかないのだろう。
しかし、である。はたして我々は若林奮のような作家の作品を、他の多くの物故作家と同じように扱っていいのだろうか? 作者は既にこの世を去ったが、作品は残された。残された作品を並べれば展覧会は出来るし、同じような意味でパブリックアートの新たな設置も可能である。そんな簡単な話だろうか? 横須賀美術館の「VALLEYS」展で自分が感じた妙な不満足感は、作者の没後も作品さえ並べれば展覧会は成り立つという傲岸や無神経さを、あの展覧会のどこかに自分が感じてしまったからではなかったのか?
そして今回の「飛葉と振動」展は、自分のそうした疑問に応えるかのような内容の展示だったのだ。本展の主眼は「作品を並べること」ではない。この展覧会で第一に目指されているものは若林の思考を辿ることである。もちろん会場会には若林の残した作品がふんだんに並べられている。しかしそれと同時に本展では若林のもうひとつの本領であるドローイングに加え、作品が発表された当時の写真や印刷物、若林の作品を撮影し続けてきた山本糾による撮り下ろしの写真や映像、果ては若林が海外で撮影したプライベートな写真まで、それらのともすれば「資料」に分類されるものまでもが若林の思考を辿る手札として作品と等価に並べられている。そしてそれらの展示物を扱う手つきからだけでも、若林作品への深い理解が感じられるような、そんな繊細な作りの展示だったのだ。
本展では一見断絶しているようにも見える初期の鉄の彫刻から晩年の「庭」の作品群に繋がる目には見えない微かな線を、展示によって丹念に追って行く。そこではキーワードを立てて無理やり作品を「解釈」していくような強引なキュレーションは行われない。若林の思考や思想はそんな安直なものではないからだろう。作家としての資質の違いもあるのでここで反面教師的に(?)例として引くのは適当ではないかもしれないが、たとえば「高松次郎ミステリーズ」展(東京国立近代美術館 2014年12月-3月)のように、作品に隠された作者の思考(ミステリー)を読み解こうする態度はここでは採用されないのだ。むしろ「決め付け」を可能な限り避け、作者によって「残されたもの」を繊細な手つきで並べていき、それら「残されたもの」たち自身の連鎖によって作者の思考そのものを空間に満たそうとしているように思われた。つまりここで試みられているのは暗喩的な読みではなく、むしろ換喩的な読みなのである。
それも当たり前と言えば当たり前のことであって、若林のような作家に対して作者が作品に秘めた思想や思考を暗喩的に読み解くといった安直が通じるはずもなく、当然その解明作業は「ミステリー」的なものとはまったく異なるものにならざるを得ないのだろう。謎は「謎」のまま同時に「解答」として目に見えるかたちでそこに存在しているからだ。つまり若林の思想や思考は作品の「奥」に秘文的に隠されているようなものではなく、たとえばそれはドローイングの絵の具による微かな滲みや、鉄の彫刻の表面に広がる錆の模様、あるいは作品の周囲の空間に生じるわずかな振動のなかにしか見出すことができない種類のものなのである。
つまり若林の思考というよりも、思考による「振動」の再現こそが、ここでは試みられているのだろう。「作品」を自明視して並べるだけの展示とも、作品から作者の思想を暗喩的に解明しようとする「ミステリー」型展示とも異なる、おそらく作者がこの世に不在となった現在において若林奮のような作家の展覧会を開催するにあたって考えうる限り最善の方法のひとつを、本展は示しているように思われた。
…とは言え、誉めてばかりもいられない。今年新たに葉山館前庭に設置されたという若林の作品《地表面の耐久性について》の緊張感のカケラもない間の抜けた佇まい(とりあえず空いてるスペースに「置いただけ」にしか見えない)は、スカ美の《Valleys》に勝るとも劣らない無残さであるように自分には思われた。たとえば西雅秋が展覧会開催に伴って設置した海側の庭に転がっているコンクリート製木造舟のあのワイルドな佇まいなどと比べたとき、やはり「作者が生きていたら、こんなことには…」という思いが湧き上がってくるのを禁じえないのである。



○「グエルチーノ展」

「日本にいながらにしてこんな展覧会が見られるなんて!」とその贅沢さに感嘆の声を上げたくなるような展示に稀に出会うことがある。単に「お宝」が出ていればいいという問題ではない。その作家の日本での知名度や展示の質などを総合的に勘案して、それが手近に見れてしまう幸運への感謝から思わず「なんて贅沢な人生なんだろう!」と叫びたくなるような、そんな展覧会だ。自分の場合、去年三菱一号館美術館で見たヴァロットン展(あるいは2012年のシャルダン展)はまさしくそのような展覧会であり、そして今年国立西洋美術館で見た本展もまさに自分に「贅沢な人生」を感じさせてくれる極上の内容だったのである。所蔵美術館の地震被害といった事情はあるものの、日本においてさほど知名度の高いとも言えないこの画家の大作を中心としたこれほどまでに充実した展示が見られるのは、まさに僥倖の一言に尽きるだろう。自分が見に行ったときは観客もまだまばらで、この上ない鑑賞条件のもとで「バロック、オモシレー!」とコーフンしつつ、その贅沢さを存分に味わったのだった。
ちなみに西美は今年は収蔵品展内の版画素描展示室を使った小企画「世紀末の幻想 近代フランスのリトグラフとエッチング」(3-5月)や「没後50年 ル・コルビュジエ 女性と海」(7-10月)も印象的だった。特に前者で展示されていたカリエールの肖像リトグラフが河原温の《死仮面》ソックリで、「これが元ネタか?」と思ってしまったのだが、実際はどうなんだろう?


○「パランプセスト―重ね書きされた記憶/記憶の重ね書き vol.7 青野文昭」

青野文昭の作品は2013年のギャラリイKの個展でも見ていて、その展示も印象的だったのだが、本展はそのときよりも遥かに広いスペースを使った大規模かつ洗練されたインスタレーション。そして空間の広さに比例するかのように、そこで受けた印象もより衝撃的なものだった。東日本大震災の津波で流されて廃材となった家具などをトリックアート的にあるいは「修復」し、あるいは家具と家具を融合させて正体不明なオブジェを出現させる青野の制作は、技術的には繊細かつ地道な労力が必要とされるものなのだろう。しかし展示全体から受ける印象は、なにかまるで巨大津波に真正面から立ち向かっていくかのような凄まじい力強さがあって、とにかく圧倒された。その「力強さ」は、物量や勢いで見るものを威圧するような種類のものではなく、人間に絶望と無力感をもたらす自然の猛威に対して「ひとのちから」をもって真っ向から対峙しているような、そんな希望や勇気をも感じさせるポジティブなものだったのだ。


○「ポコラート全国公募展vol.5」

今年は毎年欠かさず見ていた某現代美術系の公募展の受賞作品展も気が乗らずついにスキップしたのだが、しかしこのポコラートだけはやはりいまだ見逃せない。平野智之の《美保さんシリーズ》のさらに洗練された新作や川戸由紀の謎の映像作品などお馴染みの作家の作品に加えて、新たな才能にももれなく逢えるのがなによりもの魅力。思うにこの公募展が成功しているのは、選考の基準が硬直していないからではないだろうか。つまり一言にアール・ブリュット(あるいはアウトサイダー・アート、またはエイブル・アート、はたまたナイーヴ・アート・・・まぁなんでもよい)と言っても、我々がそこに見る「面白さ」は決して一様ではない。作家としての自覚のもとに作られた作品もあれば、本人にはその気がなくても見る側が勝手にそこに「作品」的なものを見ている場合もある。平野智之や川戸由紀のような突出した天才に驚くこともあれば、作者が見ている世界の特異さに驚くこともあり、常識からのズレが笑いを誘う場合もあれば、素朴な表現にほのぼのさせられることもある。それら決して同一の地平では優劣を決定できないような多様な魅力を偏らず拾おうとしている姿勢こそが、おそらくこの公募展を未だ生かさせているのだろう。


○「モダニズムへの道程 写真雑誌『白陽』に見る構成派の表現」

小さな展覧会だったのだがとても印象に残った。東京都写真美術館の金子隆一氏企画の展示なのだが、個人的には写美で以前見た「芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム」(2011年)よりも受けたインパクトは大きかったかもしれない。ハズレ続きの展覧会巡りの果てにたまたま寄って見た展示だったのだが、その日一日の徒労感が吹き飛ぶような清新な印象があった。展示されていたのはすべて1920年代に刊行されていた写真雑誌に掲載されたものということだったのだが、とても印刷物とは思えないような精巧さにも驚かされた。写真のチョイスがまた良くて、こういう不思議な空間にひょっこり迷い込んでしまう瞬間こそが展覧会廻りの醍醐味なんだよなーと再認識させられた展示だった。


○「鉄道遺構・再発見 」

「歴史とどう向き合うか?」という問題は、なにか熱病の一種のような様相をも見せながら、今年もさらに我々の上に重くのしかかっていた。妄執するでもなく、無視・忘却するでもなく、適度で自然な距離感こそが「歴史」との付き合いにおいては理想だろう。しかしそれが言うほど容易いことでないことは、日々のニュースのなかを跋扈する「歴史」の巨大な存在感を見渡せば自ずと明らかである。
そんな時勢のなか、この展覧会を見ていてなんとなく考えたのは、「歴史」との付き合い方において「鉄道遺構的なありかた」というのは、ひとつの理想のスタイルとしてありうるのではないだろうかということだった。鉄道遺構というのはなかなか面白くて、まずその地域の歴史と必然的に深く関わっている。車での移動が発達した現代ならばまだしも、近代化の過程において鉄道の開通がその土地にもたらした影響と変貌の大きさは想像に余りある。本展では記録映像などによってその一端を窺うことができるのだが、言ってみればその土地に生きるもので鉄道と無関係でいられたものは一人もないということなのだろう。つまり鉄道遺構にはその地域の歴史そのものが詰め込まれているのだ。
この企画展では、かたちを変えて現在でも利用されている各地の鉄道遺構が紹介されていた。あるいは橋や遊歩道として、あるいはワインセラーとしてなどその用途はさまざまなのだが、そこで重要となるのは「歴史」が途切れることなく現代の生活空間のなかに存在し続けているということではないだろうか。つまり本来の鉄道としての役目は終えても、また別のかたちで「現役」としてその遺構が地域に生き続けることによって、自然なかたちで過去と現在を繋ぐ「歴史」が生活のなかに存在することになるのである。おそらくそれは歴史というものの本来的なありかたなのではないだろうか。例えば「記憶のためのモニュメント」などの場合、そこには「記憶せねばならない」という人間の意志のベクトルが働く。その意志に反する思想を持つものは、モニュメントのなかに「歴史」ではなく、その「意志」をこそ見てしまう。当然そこには対立が生じ、その対立は「歴史をめぐる対立」と呼ばれることになる。しかしそこにおける「歴史」とはいったい何か?
ともすれば我々は「歴史」は記録資料や象徴的なモニュメントのなかだけにあるように思いがちだが、本当は我々の周りに存在するすべてのものは過去と地続きの歴史の成れの果てとして存在しているはずなのである。いやそもそも我々自身が「歴史」の一端としてここに存在しているのだ。日常のなかに自然なかたちで「歴史」そのものが継続して存在しているという鉄道遺構の肩の力の抜けた在り様は、歴史というものに対する我々の姿勢を見直すためのヒントになるような気もしたのである。


○「ループホール10周年記念展」

もしこの展示を広くてキレイな美術館やコマーシャルギャラリーの展示室で見ていたら、これほどまでには面白いとは感じなかったかもしれない。普段は趣味の絵画サークルなどに利用されていると思しきおよそ現代美術作品の展示には不向きな壁やスペースが、作品の力によって「あまりこれまでに見たことがない空間」へと変貌しているのを見るのは、大掛かりな仕掛けで美術館の大展示室が変貌するさまを目撃するのにも劣らない新鮮な驚きがあった。
絵画作品が主だったため絵画の底力をそこに見た気がしたし、やはりこのギャラリーは個性的で面白い作家を揃えてるんだなーと再認識もしたし、作風が似ている作家の思わぬ実力の差まで垣間見られた気がして、さほど期待して見に行ったわけではなかったわりには思はぬ収穫があった。


○「生誕200年記念 伊豆の長八」

絵にて絵画にはあらず、立体造形にて彫刻にはあらず。近代以降の「美術」の概念では掬い取れない超絶技巧による工芸的絵画、いやはたまた絵画的立体、いやときには工芸的絵画的建築物、イヤイヤやっぱり「美術」の用語では上手く名指せない。一見は百聞にしかず、いやホントこの鏝絵(こてえ)にはビックリした。
伊豆の長八の作品の面白さは単なる技術力の高さだけではなくて、おそらく絵心が凄くある人だったのだと思うのだけれど、たとえば立体造形すらも「絵」として見ることができるような面白さがあるのだ。平面の絵がもりもり盛り上がってそのまま立体像になってしまったような不思議さを感じさせる作品もあって、2D〜2.5D〜3Dまでシームレスに同じ「絵画」的感覚で貫かれるこれまで見たことのない表現に、自分の(近代的な)絵画感を揺さぶられまくったオドロキの展覧会だった。
幕末〜明治期の超絶技巧の作家ということでは、今年は暁斎展があった(「画鬼・暁斎-KYOSAI」三菱一号館美術館 6-9月)。ちなみに暁斎は長八の16歳年下で没年が同じ。暁斎展に関しては、基本的には楽しんで見たのだが、同時に「やっぱり自分の好みの画家ではないなー」と再認識した展示でもあった。確かにムチャクチャ上手いんだけど、上手いことがプラスの方向だけではなく、マイナスの方向(=ツマンナイ)にも向かうことがある作家なのかな、と。だから自分が暁斎の作品で「面白い!」と感じるものは、だいたいその技術的な上手さが過剰になっている部分で、確かに上手さが下地になってそれが初めて実現しているということはわかるんだけど、ポイントとして面白さを感じるのはその積み重ねの部分ではなく積み重ねが過ぎて有り余ってしまった部分、つまり「ズレ」に対してなのだ。時代の違いなのか作家としての資質の違いなのかはわからないが、たとえば北斎ならば技術的な上手さがマイナスの方向に働くということはあまり考えられない。その奇想も技術力の高さも漏れなく楽しめるという感覚がある。比べるなら北斎の奇想がアヴァンギャルドなのに対して、暁斎はキッチュ止まりな気がするのだ(その部分こそが現代的であるとしてウケているのかもしれないけれど)。
そして同じ時代の超絶技巧でも、長八は暁斎と違ってキッチュな面白さとは全然違う。長八の場合はテクニックがどれだけ超絶になろうとも、それが過剰(余剰)にならず、ちゃんとすべて表現に還元されているという感覚があるのだ。暁斎の絵の面白さに幕末〜明治という時代と彼の表現とのズレが深く関わっていると感じられるのに対して、長八の場合はむしろ時代を超えている。つまりズレが生じる余地がないのだ(そのため、ある時代にアジャストして「同時代的」に見えることもないのかもしれない)。故に長八はアヴァンギャルドでさえない。何だか(近代的な見地からでは(?))よくわからないまったく独自のナニカなのだ。


○「諏訪未知 ドローイング / interior」」

初めは「ふーん、こんな感じかー」くらいにしか思わなかったのだが、時間が経つうちにだんだん「見えてくる」ものが増えてきて、「これはもしかして、なかなか面白いのではないか?」と思い直した。
諏訪未知のドローイングには、例えば同じスペースで見た西原功織の《4コマダイアリー》のような日記でありつつなおかつ同時に圧倒的に絵画であると見るものを納得させるような「強さ」はない。むしろその真逆で、印象としてはすごく「弱い」。抽象絵画的な図柄が紙に描かれているのだが、一見すると「抽象絵画的な図柄が紙に描かれている」以上のものには見えない。絵画的な深まりや、複雑さや、あるい異物として周囲から切り離され立ちあがってくる強度などは全然感じられない。しかし逆にその「何も感じられなさ」が気になって時間をかけて見ていると、このギャラリーが展示スペースに接続する形で布地を取り扱う店が併設されているということもあってか、それらのなかなか「絵画」に見えないドローイングが、むしろ布地のプリント柄を擬態しているかのように見えてきたのだ。そうすると面白いことに今度は逆に布地のプリント柄との差異のようなものが意識され、それまで見えなかった筆のかすれや絵の具の滲み、色の重なりによる微細な色調の変化といった微細な細部が「絵画的な豊かさ」として見え始めてきたのだ。この時間をかけて「だんだんと見えてくる」感覚は新鮮で、自分にとってそれはまさに「絵画的体験」以外のなにものでもないのだった。
この体験が意味するものはなかなか示唆的である。はじめ諏訪のドローイングが自分には「抽象絵画的な図柄が紙に描かれている」以上のものには見えなかった(つまり「絵画」には見えなかった)理由を考えるに、展示場所(前回見た展示が先に書いた西原功織の個展だった)や作家名からそこにあるのは絵画に違いないという先入観が展示を見る前から既にあり、はたしてそこに展示されているものがイカニモな抽象絵画を指向している感じの作品であったため、その先入観に照らし合わせて「絵画」へと向かうベクトルが届ききれていない(「それっぽいもの」に留まっている)と判断し、絵画として見るには「弱い」、すなわち「絵画」には見えないという結論に達したのだろう。しかしその「見えなさ」がかえって違和感となり、それらのドローイングが「絵画」ではなくむしろ「プリント柄」を擬態しているように見えてきたとき、逆にもともとそこにあった微細な(つまり初めに「弱い」と感じた)絵画的な要素が差異として強調されて「見えてくる」といったことが起こったのである。つまりベクトルが「絵画」に向かっていると感じたときは絵画には見えず、逆に「絵画」に見えないようにするベクトルが働いていると感じたときに絵画に見えるという逆転現象がそこでは生じていたのだ。思うにこのことは「絵画」というもの本質を考えるにあたって非常に重要なことなのではないだろうか。付け加えれば、「絵画」に見えないようにするベクトルが生じるにあたって、これらの作品がドローイングであったことも当然意味を持つであろう。
*

ここで諏訪未知展からは離れてしまうのだが、話のついでに「サイ トゥオンブリー:紙の作品、50年の軌跡」展(原美術館 5-8月)についても書いておきたいと思う。今年の思い出のひとつとしてこの展示のことは記録しておいたほうがいいように思うからだ。と言うのも、ある意味では今年もっとも期待していた展覧会のひとつでもあったこの展示が、実際見てみたらビックリするほど期待ハズレの内容だったのである。事前の期待を裏切られたという意味ではちょっと過去に記憶がないほどの落差の大きさだったのだ。散見した限りでは展覧会評は好評なものばかりだったようなので、展覧会としての出来不出来の問題ではなく、単純に自分にはトゥオンブリーの紙の作品(今回初めて見た)がまったく面白いと感じられなかったということなのだろう。展示を見ている最中ずっと自分の頭のなかにあったのは「トゥオンブリーってキャンバスに描かないと駄目なのか??」ということだった。
とは言っても自分が実際に見たトゥオンブリーのキャンバス作品など数が知れている。しかし過去数点のみだが目にしたそれらの作品が自分を圧倒的に引き付けたのは、そのまったく「絵画」を指向しているようには見えない描画と、それにもかかわらずそれが圧倒的に「絵画」以外の何物にも見えないというそのギャップの凄まじさだったのである。つまり非絵画的ベクトルによって「絵画」が成り立ってしまうというそのクールさや、「絵画」が成立するギリギリの境界線で絵画たりえているというその緊張感(言うまでもなく「絵画」の緊張感のほとんどがその境界線上からこそ発生している)が自分を魅了したのだろう。
ところが今回の展示で見た彼の紙に描いた作品は、その大半が非絵画的ベクトルではなく、むしろ絵画として「見えるようにしよう」というベクトル(努力の跡)のほうが目だって見えてしまうような凡庸な作ばかりだったのである。ギリシア神の名前を殴り書いた作品とかホント悲惨で「そこに頼るかっ!」みたいな感じにしか見えなかった。非絵画的ベクトルは当然非意味や非価値のベクトルとも重なるわけで、トゥオンブリーのドローイング作品はその非意味・非価値の拠り所のなさに堪えられなくなって、有意味・有価値のエッセンスのようなギリシア神名に必死ですがっているようにしか自分には見えなかったのである。
そこで思ったのは、やはりキャンバスと紙という支持体の差だった。言うまでもなくキャンバスはそれだけで絵画や美術の制度(パレルゴン)として機能する。つまりキャンバスに描かれているというだけである程度「絵画として見える」という担保がなされているわけで、その担保の上で奔放に非絵画的ベクトルの描画を展開し、ギリギリの境界線上で「絵画」を成り立たさせてみせているのがトゥオンブリーのキャンバスの作品なのではないかと考えるのだ。
それに対して紙という支持体は、その担保がキャンバスに比べ一気に目減りする。「なにを描いても絵画に見える」といったことはそこでは起こらない。この世に存在する「キャンバスに描かれたもの」のほとんどが絵画かそれに類するものであったとしても、「紙に描かれたもの」ならばその選択肢が無尽蔵に増えるのである。それは電話中に描いた無意識の悪戯書きなのかもしれないし、なにかのメモなのかもしれないし、パレット代わりになすりつけた絵の具の痕なのかもしれない。可能性はいくらでもあるのだ。にも関わらずそれが「絵画」に見えるのだとしたら、それはそこに付された痕跡の総合に「絵」として見える美的な要素が含まれているからということになる。この場合の「絵」として見える美的な要素とは、ものすごく単純化して言ってしまえば画面内におけるバランスのことだろう。トリミングされた画面上に付された痕跡が「絵」に見えるバランスというものがこの世には存在する。多くの画家が絵画の制作において筆を置くタイミングにこそもっとも精力を注ぐのも、その「絵」になる究極のバランスを探っているからなのである。
問題は、トゥオンブリーが紙の作品においては、その「絵に見えるバランス」を追っているように見えることなのだ。もちろん「絵」にするためには追ってもいいし、追うのは当然なのだけれども、追っているように「見えてしまう」のはトゥオンブリーの場合は非常にマズイのである。というか、すこぶるカッコ悪いのだ。なぜなら彼はキャンバス作品同様、紙の作品でも表面上は非絵画的なベクトルを貫いているような体を装っているからである。一見「俺、ぜーんぜん“絵画”なんか目指してないから〜」といった顔して描かれた感じの描画(作風)にも関わらず、実際はどの絵からも「絵として見えるようにまとめよう!」という努力の痕跡がひしひしと感じられてしまうのだ。「あ〜、これじゃ絵にならないと思ったから、ここに文字入れたんだろーなー」といった具合に。無造作を装った懸命さほどカッコ悪いものもない。しかもそれが「見えてしまう」ということは、あんまり上手くいっていないのだ。そうなるともう非絵画的ベクトルは単なるポーズ、もしくは自己模倣でしかなくなってしまう。結果的に「絵画」が成立するぎりぎりの緊張感はそこからは感じられず、むしろ既視感溢れる「それっぽいもの」として平凡に完結しているだけなのだった。正直言って自分にはなんでこんなにありふれた絵が特別に評価されているのかさっぱりわからなかった。
諏訪未知展からトゥオンブリー展へとだいぶ逸脱してしまったが、絵画とドローイングの関係をめぐる今年の思い出(あるいは「絵画」へ向かう/離れるベクトルと「絵画」に見える/見えないという問題に関する二つの例)として併せて記してみた。まぁートゥオンブリーに関してはたぶん自分はまだ全然見ている作品数が足りていないので、来年早くも開催されるDIC川村記念美での展覧会(しかし今度はなんとメディアが写真!)が、今から楽しみである。


○「アルフレッド・シスレー展」

初めに書いておくと、展覧会としての出来にはかなり失望した。出品作品数が20点(うち2点は版画)というのは、確かに展示面積から考えてあきらかに少ない(足りない)。でも作品が少ないなら少ないなりにいくらでも工夫のしようがあるだろうと思うのだが、結局この展覧会では埋め草が埋め草以上のものには見えず、一つの展覧会としてのバランスを著しく崩していた。せっかく国内にあるシスレー作品の半数近くを集めたんだから、サブテーマとして設定されていたという「シスレーと日本」について第二部で掘り下げたりとかすればエポックメイキングな展覧会になったかもしれないのに、もったいない。たとえそれが「シスレーが他の印象派画家たちと比べていかに日本では人気がなかったか」の歴史であったとしてもそれはそれで面白いし、第三部との接続もできる。というか、誰もこの展覧会に「セーヌ川の河川工学的説明」なんて求めてないのだ。
とは言え、まぁシスレーの絵が20点、版画を抜かせば18点の油彩画が一気に見られるというのは、シスレーファンとしては目からヨダレ状態以外のなにものでもないことも確かなのである。全て国内所蔵作品のため見知った絵も多かったが、こうしてまとめて見ることで新たに気付いたこともあった。そのことについて書く。
自分はシスレーの魅力にとらわれて以来、その「普通にいい絵」がなぜ特別に自分を魅了するのかを考え続けてきたのだが、本展を見た結果、それはシスレーの絵がある意味において「究極の絵画」だからではないだろうかと思い至った。ナニヲカイワンヤと思われるかもしれないが、つまりこういうことなのである。
まず一枚の絵画を見るとき、その画面内に我々が何を見ているかを考えてみる(※ちなみに絵画のモノとしての側面――誰が描いて、誰が所蔵して、どのくらいの価値があり、現在どのような状況に置かれているかといったような情報――はここでは考慮しない。あくまで「画面内」から受け取る情報に考察の対象を絞る)。するとそこには大きく分けて二つの階層があることに気付く。すなわち「何が描かれているか」と「どう描かれているか」の二層だ。たとえば画面内に台形の図形がひとつ描かれていて、それを「台形の図形」「富士山」「プリン」「跳び箱」などと認識するならば、それは「何が描かれているか」を見ているのだと言える。その上で台形を構成する線の太さや地と図の色彩の違いなどに注意を向けるならば、それは「どう描かれているか」を見ていると言える。「ただの台形の図形が富士山に見える。不思議だ!」とか「美味そうなプリンだなぁ」とか「小学生のころよく跳んだ跳び箱だ。あの頃は良かった…」などと思うのであれば、それは絵における「何が描かれているか」の要素によって快感を得ているのだろう。逆に「線の引き方がダイナミックだ!」とか「台形(富士山)の部分の青色が美しい…」などと思うのであれば、それは絵が「どう描かれているか」の要素に快感を覚えているのだと言ってよいだろう。
西洋における絵画鑑賞の歴史において、この二つの階層は前者に後者が従属するかたちで常にセットで存在していたと考えられる。つまり前者が絵に描かれた内容であり、後者がそれを描いた画家の技量である。まず絵に描かれた内容(モチーフ)があって、その上でその出来栄え(画家の技量)を判断するという順序が普通であっただろう。その逆はなかなか考え難い。あくまで「何が描かれているか」を判断した上で、「どう描かれているか」に対する評価は成り立っていたのだ。
上に挙げた例において、台形の図形が「富士山」や「プリン」や「跳び箱」に見えるのであれば、すなわちそれはイリュージョンである。イリュージョンは西洋絵画を成立させるための基本的なメソッドとして長くその主たる位置を占めてきた。つまり絵画が「どう描かれているか」の評価とは、そのイリュージョンが上手く成立しているかこそがその第一義だったのだ。イリュージョンが成立していない絵、すなわち「何が描かれているか」がわからない絵は、そもそも絵として失敗だったのである。
しかしその歴史は19世紀後半に到って終了する。印象派と呼ばれる一群の画家たちの出現が、絵画鑑賞の歴史に大変革をもたらしたのだ。彼らの描く絵においては、イリュージョンを構成するための要素として常に「何が描かれているか」の下位に置かれていた色彩や筆致が、それ自体の自己主張を始めたのである。印象派の出現以前は絵画を鑑賞する際、画家の筆触を見るためには絵の近くまで歩み寄って画面に顔を近づけ目を凝らしてを確認するのが常であっただろう。その動作はすなわち「細部を確認する」のと同時に「全体を見えなくする=イリュージョンを断ち切る」ことも意味しているのだ。しかし印象派の画家たちが描く絵においては、わざわざ絵に近寄って見なくても画面の全貌を視野に入れたまま画家の筆触を目にすることができるように(あるいは、目にせざるをえなく)なったのである。つまり色彩や筆致が「イリュージョンを形成する」という任務から解放され始めたのだ。
このとき絵画鑑賞には新たな「快感」が生まれる。それは画面に塗られた色彩や筆触自体がもたらす快感である。画面に描かれたイリュージョンを楽しむのではなく、「画面に塗られた絵の具」そのもののが快楽の対象として浮上してきたのだ。その快感要素は以前から存在していたのかもしれないが、常にそれはイリュージョンの形成の下層に置かれ、決して絵画鑑賞の表舞台にしゃしゃり出てくるようなものではなかったのである。それを誰の目にも明らかなものとして顕在化させたのが印象派の画家たちだったのだ。
そしてそれに対応して起こったのが、絵画におけるイリュージョンの衰退なのだ。それは起こるべくして起こったのだろう。なぜならば画面上の筆致(絵の具)の自己主張は、イリュージョンの形成と相反するベクトルを有するからである。画面の上におかれた絵の具自体が快感をもたらすという発見、そして「何が描かれているか」がわからなくなっても絵が成り立つという確信は、やがて世紀を跨ぎ抽象絵画の誕生へと道を開くことになる。絵画の歴史を一変させる大変革がそこで起こったのだ。
それはある意味においては絵画の「進化」だったのであるが、しかしその急進さは旧来通りにイリュージョンによる「何が描かれているか」にこそ絵画の価値基準を見出すものを置いてけぼりにする結果にも繋がったであろう。現代においてさえも「抽象絵画はわからない」「現代絵画はワカラナイ」といった声は決して少数派ではないのだ。かくしてイリュージョンの明快な古き良き絵を愛する絵画愛好者は、美術館の展示室で何が描いてあるのかサッパリワカラナイ現代絵画を前にして「なんで(絵画は)こんなことになってしまったんだろう…」と首をひねることになるのである。
さて、以上のようなことを考えたとき、シスレーはまさに「絵画の楽しみ方」が大きく発展(または分裂)するその岐路のまさにど真ん中にいた画家であると言える。しかし彼はやがては現代絵画へと続いていく道を果敢に切り開いていった同輩たちと違い、その先にある可能性までは追い求めようとはしなかったのだ。むしろ岐路の「ど真ん中」のその地点から動こうとしなかったのである。そのことは進歩や進化をこそ重んじる価値観のもとに、他の印象派の画家たちに比べて長くシスレーの評価を低くする要因となってきた。
しかし「先に進まなかった」ことをマイナスとするのではなく、「そこに留まり続けたこと」をプラスとして見ることはできないだろうか。つまりシスレーは旧来的な「何が描いてあるか(=イリュージョン)」を楽しむ絵画と、新しい絵画の快楽である筆致や絵の具の色彩自体がもたらす快感の双方が均等の力で共存できるギリギリの中間点、すなわち絵画鑑賞におけるもっと快楽度が高いポイントをこそ追求し続けたとも言えるのではないか。実際にシスレーの絵を見ていると、イリュージョンの形成と筆触の独立という二極のベクトルが、どちらか一方に偏ることなく均等のバランスでせめぎ合い、交互に立ち現れるのが認められるのである。イリュージョンと筆致が合体するその臨界点、つまり絵画が生成する不思議の源をこそシスレーは自分の作品の主戦場として定めたのではないのか。
このことと関連して本展を見ていて気が付いたのは、シスレーの絵における点景人物の重要さである。シスレーの絵にはたいてい風景のなかに小さく点景として人物が描かれているのだが、この点景人物が描かれている絵と描かれていない絵ではだいぶ見え方が異なるように思えたのだ。自分は点景人物が描かれている絵のほうが「シスレーらしさ」が感じられてだんぜん好みなのだが、しかしこの点景人物の存在は彼の絵の進歩的な側面(印象派的側面)よりも、むしろ守旧的な側面を象徴するものであるように思われるのである。
そのことを裏付けるように、シスレーの風景画の大半に点景人物が描かれ続けるのに対して、モネの風景画における点景人物は初期の作品こそ多く目に付くが、筆触の大胆さが増すのにしたがって次第に姿を消していき、1890年代以降の作品にはほとんど見られなくなる。さらにセザンヌの風景画にいたっては、わずかな例外を除けば一貫して無人なのである(※レゾネでちゃんと確認したわけではないのだが、とりあえずココで見られる限りではそういう傾向だった)。
この点景人物の扱いの差は、そのままこの三人の画家の急進性の差へと繋がっているように思われる。そして自分はここに印象派の成し遂げた絵画の革新において見過ごされがちなある変化、すなわち「どう描くか」の変化だけではなく「何を描くか」という面における大変化こそが深く関係しているのではないかと考えるのである。
印象派の画家たちが因習的な絵画のモチーフやアトリエに籠っての制作を嫌い、陽光の下で自分が目にしている光景を描くことで絵画の革命を成し遂げたことは有名だ。目の前にある光の変化を捉えるために、画面上における筆致や絵の具の使い方も刷新され、結果的に絵画における「どう描くか」にも大幅な進化をもたらしたであろうことは十分想像できる。
しかしそこで起こった変化は、それだけに留まらないと思われるのだ。その最たる例がモネとセザンヌだろう。印象派の急先鋒であるこの二人の作品は「自分が目にしている光景を描く」ということが、単なる画面上のモチーフの変化といったマイナーチェンジに留まらなかったことをもっともよく示しているのである。
モネの偉業はなんと言っても「自分が見ている光景」を、光の変化をとらえることを軸にやがて「網膜に写る光そのもの」にまでその解釈を進化させていったことだろう。我々はモネの絵を見るとき、描かれる対象以上にそこにモネ自身の「眼(視覚)」を認めるのである。一方そのモネを「眼である」と評したセザンヌは、網膜に映る光学的な情報をさらに超えて、対象や対象を見つめる画家自身の実存的な存在までをも描き出そうとするのだ。つまり彼は「自分が見ている光景」というモチーフを「自分は世界をこのように見ている」ということを表現するまでに深めていったのである。それぞれの個性に違いはあれど、しかしこの二人に共通するのは「目の前にある風景」を手本にしてそのコピーを描こうとするのではなく、それを見る自分自身の「知覚」を描き出そうとしていることなのだ。
一見気付きにくいが、実はそこで大きく変化しているのは絵画の画面内における空間のあり方なのだ。つまり旧来通りの絵画のあり方で「自分が見ている風景」を描くのならば、目の前にある三次元の空間を手本にして、二次元の画面内に「それに似た風景」を描き出すことになる。そのとき画面内には目の前にある三次元空間に似た仮想の空間がイリュージョンによって立ち上がっている。それは別に風景でなくても構わない。石でも人でもリンゴでもなんでもいい。二次元の画面内にイリュージョンによって三次元的な何かが描かれるとき、その「何か」の周囲にはそれを囲む仮想の空間が同時に立ち上がっているのである。その「画面内における仮想の空間」の出現は、遠近法の発明をも遥かに遡るのだ。ラスコーの壁画に描かれた動物たちの周囲にだって、我々はその仮想の空間を認めることができるのである。つまりイリュージョンによって「何が描かれているか」が判別できるものこそが「絵」であった時代において、「絵を描くこと」とはその仮想の空間を画面内に出現させることをも意味したのである。
しかしモネやセザンヌのように画家自身の「知覚」そのものを画面に定着しようとする場合、この構図は崩れるのだ。なぜならば画家自身の内部に属する「知覚そのもの」を“直接”画面に描き出そうとするのならば、画面内に仮の空間を立ち上げるという手順が必要とされなくなるからである。
わかりやすく説明しよう。たとえば富士山を絵に描こうとする。富士山のかたちをイメージして画面内に台形の図を描く。絵を描くものの意識のなかでその台形が富士山(またはその祖型)として意識されているならば、そのとき既に画面内には仮想の空間が立ち上がっている。しかし「富士山を見たときに自分が抱いた感情」を絵にしようとする場合ならばどうするか。たとえばそのときも台形の図形を描いたとして、しかしそれは富士山のかたちをイメージしたものではなく、形を持たない抽象的な感情を表現したものだとする。そのときそれを描いたものの意識のなかでは、描かれた台形の周囲に仮想の空間は立ち上がっていない。そこに描かれているものは自己の外部にある対象の再現(イリュージョン)ではなく、自身の内部にあるものの投影だからだ。すなわちそれを描くためには仮想の空間を画面内に立ち上げる必要がないのである。モネやセザンヌの絵はまだ対象を再現するイリュージョンの要素を多分に残しているが、しかし彼らが自身の「知覚」をこそ描こうとする限り、それを描く彼らの意識はこの後者の領域へと既に大きく踏み込んでいるのだ。
つまり目の前に広がる風景を手本にそれとよく似た風景を画面内に描き出すことと、目の前の風景が「自分にはどう見えているか」や目の前の風景を「自分はどう見ているか」自体を描き出すことでは、外見上の姿はほとんど同じに見えるかもしれないが、その内実はまったくの別物なのである。なぜならばその後者においては画面内に仮想の空間が想起されていない(される必要がない)からだ。故に彼らの絵はどんどん「二次元化」していくのである。
それは絵を見る側においても同じだろう。画家自身の知覚(内面)を画面上に見るのであれば、画面内に構築された仮想の空間はもはやそれほど意味を持たなくなる。その代わりにイリュージョンの構成の任務から解き放たれた色彩や筆致自体が「画家自身に属するもの」として意味を持ち始める。セザンヌに至っては画面の塗り残しまでが意味を持ち出し始める。もはやそれらは画面内に仮想空間を構築するイリュージョン(つまり描かれる対象)の一構成要素に留まらず、画家自身の意思や感情をまでも表しうるものとして独立していくのである。
それはとどのつまり画面内に構築されていた旧来的な絵画の空間が破壊されたことを意味するのだ。「仮想の空間の構築(イリュージョンの発生)」という手順を逃れた絵画の画面空間は、それまでは存在しなかったまったく新しい表現の可能性の場へとバージョンアップされたのである。しかしそれにしても「“印象”派」とは実に正鵠を射たネーミングだったのだ。「印象(知覚)」を画面上に定着しようとする彼らの試みこそが、やがて現代絵画へと続いていく絵画の変革のすべての端緒となったからである。
では、我らがシスレーの場合はどうなのか。印象派の主要メンバーである彼もイーゼルとキャンバスを屋外に持ち出し、同輩たちとともに目の前にある「自分が見ている風景」をモチーフとして絵を描いた。しかし彼はモネやセザンヌのように「知覚」そのものを描き出すというレベルまでには到らなかったのだ。その一歩手前で辛くも踏みとどまったのである。もちろんシスレーの絵にも彼自身の「知覚」を描いていると感じさせる部分は多分にある。印象派特有の大胆な筆致による描写などがまさにそれに当たるだろう。しかしシスレーはモネやセザンヌのようにその先には進もうとはせず、むしろ画面空間を旧来的な「画面内に構築された仮想の空間」へと戻してしまっているように感じるのだ。
そのとき重要な役割を果たすのが、彼の絵のなかの点景人物なのである。シスレーの絵における点景人物は、山水画におけるそれのように画面内に完結した箱庭的空間を生じさせ、アブストラクトな筆致を再びイリュージョンを形成する任務へと押し戻す。この場合の点景人物を中心とした箱庭的空間こそ、まさに旧来的な絵画における「画面内に構築された仮想空間」なのである。シスレーの絵をモネやセザンヌの絵と比べたときに感じられる遅れた感じ、古臭い感じ、革新さの中途半端な感じといったネガティブな印象は、筆致の大胆さの差とともに、この画面内の空間の違いに因っているのだと考えられる。
つまりシスレーの絵における印象派的な大胆な筆致と旧来絵画的な画面空間は、それぞれが絵画の新旧の側面を代表してお互いを抑制し合っているのである。「知覚」自体の表現へと繋がる大胆な筆致は、モネやセザンヌの絵におけるそれのように、アブストラクトへと向かうベクトルを秘めている。しかし箱庭的空間がぎりぎりの地点でそれを押し留め、再びイリュージョンの形成へと向かわせる。そのさまは絵画の進化の歴史の只中で、抽象化へ向かう一歩手前のぎりぎりの中間点にこそ留まろうとするシスレー自身の姿とも重なるのだ。その均衡のど真ん中に留まったからこそ、シスレーの絵は「普通にいい絵(=中庸)」であるのと同時に「究極の絵画」でもありうるのである。そう思って見ていると、シスレーの絵に描かれた点景人物が、画面が抽象化に流れるのをその一点において押し留めている「押しピン」のように見えてくるから面白い。


○「小林耕平展 蓋が開かない、屋根の上の足音」

昨年gallery αMで開催された小林耕平の個展でその時点での彼の最新作《透・明・人・間》を見て、近年の小林作品を見るときに感じさせられてきた「疎外感(=自分だけが置いてけぼりにされ、通じる者だけで会話しているのを外から見せられている感じ)」のようなものが解消され、外部に「開けた」感覚があった…といったようなことを昨年の年末日記に書いた。そしてその次に自分が小林の作品を見たのが今年「アーティスト・ファイル 2015 隣の部屋-日本と韓国の作家たち」展(国立新美術館 7-10月)で展示された大展示室を存分に使った大掛かりな作品だった。しかしこの展示に関しては、部分的には非常に感銘を受けつつも、全体としてはまた以前の「閉じている」印象へと後退しまっているように自分には思われたのだ。
それは次のような作品である。まず小林、山形育弘、伊藤亜紗という小林作品ではレギュラー格のお馴染みのメンバーが、「○○は××である。(○○ is ××.)」という文章(台詞)を尻取り的に作っていく。それらは「山脈は皺である。」「皺とりクリームはタイムマシンである。」「タイムトラベルは土下座の強要である。」といった一見哲学的で意味がありそうにも見える無意味な言葉のオンパレードで、まぁイカニモ小林耕平的なものである。次に小林が日用品などを素材にしてそれらの台詞をモチーフにしたオブジェを作る。これもまぁいつもの展開である。そしてその小林が作ったオブジェを第三者(と言っても小林、山本+関連メンバー)がパフォーマンスによって表現した様子が撮影される。さらに会場に並べられたオブジェを小林、山本、伊藤の三名が解説する映像作品も作られる。インスタレーションとしては展示室に入ってすぐの壁一面に大きな文字で三人が考案した台詞がプリントされ、側面の壁にパフォーマンス映像が、その向い側の壁に解説映像がそれぞれ映写されている。部屋の中央には小林が作ったオブジェが所狭しと並べられている状態で、観客はオブジェのあいだを縫うようにして部屋を行き来し、専用のヘッドフォンで解説動画の音声を聞く。
この作品においてまず気が付くのは、小林が今回は「言葉」をとくにそのテーマとして取り上げていることである。彼はこれまで日用品をナンセンス化しすることでそこから名前(用途)を奪い、モノをそれが名付けられる以前の原知覚的と言っていいような状態へと還元しようとする試みをしてきた(のだと自分は思う)。それがこの作品では「言葉」に対し、彼がこれまでモノに対してしてきたのと同じように、その「意味」をそこから奪い、解体することを目指しているように見えるのである。そう考えると、その「仕組み」は非常によく出来ているのだ。
まず「A is B.という文型」+「尻取り」という制約によって発話者の自由度(意図)を制限し、ナンセンス性を担保している。言葉の定形化は古来より言葉を異化するための定石である。この場合は発話者の意図に基づく「意味」を言葉より引きはがす効果を果たすのだろう。一見遊びやおふざけのように見えるが、このスタートはなかなかよく考えられていると思う(ただしその制約を発話者たちの能力=キャラが突き破っている嫌いはあるのだが、とりあえずここでは措く)。
次にその言葉(台詞)をオブジェによって視覚化する。つまり言葉以外の表現(メディア)に置き換える。モチーフとなる台詞がそのままオブジェ作品のタイトルにもなるため、美術作品における作品とタイトルの関係(の欺瞞?)を照射しているとも言える。さらにそれを第三者がパフォーマンスで表現する。メディアの転換が繰り返されるとともに、第三者による恣意的な解釈が加わり、伝言ゲーム的な効果が増す。それはデマや噂といった言葉の伝達過程におけるの様々なエラーの様相をも思い起こさせる。ここまでは羨ましくなるくらいヌケヌケと「言葉」に対する無意味化が、独創的かつわかりやすいプロセスによって執拗になされている。
しかし最後に発話者三名によるオブジェの解説が入るのは、よくわからない。というか構造として完全に間違っているように思われる。せっかくここまで他メディアへの変換や第三者(とも完全に言い切れないところに問題があるのだが、それはともかくとして)の解釈といったフィルターを通して解体を進めてきた言葉を、なぜまたもとの発話者の「解説」へと戻すのか。そこでなされる解説はいつもの小林作品同様、何を言っているかわからないような一見哲学的だけどナンセンスな台詞を発話者が真顔で喋るというものなのだが、同じナンセンスでもそこには初めの「A is B.という文型」や「尻取り」といった発話者の意思を縛る拘束条件はなく、しかも自分たちが考案した台詞をモチーフにしたオブジェを本人たちがまた言葉で解説しているわけだから、途中のプロセスを経る意味が全て無効化されてしまうのである。結果的に自閉したループ構造がそこに出現し、以前の小林作品に自分が感じ続けていた「意味が分かる者同士がお互いにしか通じない言葉で話している」という「閉じた印象」に戻ってしまっているのだ。
この作品についての説明が、次に取り上げる山本現代での小林の個展のウェブページに載っていたので、少し長めであるが引用する。
-------------------------------------------------------

小林の作品では、中心となる主題から漏れて行くもの、また勘違いや「突発的な作り話」が次々に生まれ話しが飛躍していくことなどへ意識が向けられてきました。近年は特に、協力者たちとの「対話」を軸に制作を続けており、現在小林が参加している『アーティスト・ファイル2015 隣の部屋-日本と韓国の作家たち』で発表されている『会話を観る』という映像作品の中では、会場に展示されている『皺とり美容クリームはタイムマシンである』というオブジェを前にcore of bellsの山形氏、伊藤亜紗氏の2人からこのような会話が生まれています。
山形:記憶って、思い出したり忘れたりするっていう言い方もあるんですけども、実はこう引き延ばされ過ぎて全体がわからなくなるっていう、なんかそういう見方もあって、それがタイムトラベルの時間の伸縮と呼応しているんですね。
伊藤:やはり全体を把握するためは、このマニ車を回す必要があったように、角を無くして、丸くすることが重要なんですね。それを、地球について考えてみると、地球の場合はこういう山とか山脈が在るわけで、ここに皺とりクリームをかけてこの山を平らにすることが重要なんです。そうすると地球全体がツルンとした卵肌になって、そこにあるピンポン玉のような 完全な球体が出来上がります。
このように、台詞が台詞を誘発し、前の話者の話しを受けて次々に積み上げられていく嘘とも「でたらめ」ともつかない会話が、違う階層に到達して行く様子は非常にスリリングで、目が離せません。例えばつい「知ったかぶり」をしてしまい、それを必死に続けなければ行けないというような状況で、スピードを持って生まれてくるイメージを小林は“想像することの異常な跳躍力”と考えています。その跳躍の中から“意味”が派生する瞬間、リアリティを感じる瞬間は私たちを魅了します。
(※一部改行とスペースを削除し、句読点を追加した)
-------------------------------------------------------

文中における「対話」という語が小林自身から出たのものなのか、あるいは文章を書いた人間の解釈によるものなのかはよくわからないが、少なくとも次のことは言えるだろう。すなわち同じ言葉によるコミュニケーションでも、思想や信仰の異なる者による対話と、同質の者同士のあいだで交わされる「内輪の会話」では、その内容をまったく異にするということである。「対話」としての緊張感を有するのは言うまでもなく前者であり、引用した文章における「対話」という語も、そのような意味において使われているのだろう。しかしこの作品に限らず「協力者」を使った小林作品における最大の問題は、そこでなされる「対話」がむしろ後者のもの、すなわち「仲間同士での仲間内でしか通じない言葉を使った会話(というか、じゃれ合い)」に見えてしまうということにあるのだ。つまり小林と「協力者」たちの会話が高度にナンセンスになればなるほど(つまり彼らの芸が達者になればなるほど)、そこで交わされる言葉の内容よりも、それを発している人間の名前や属性、能力の高さといった点のほうが際立ってしまい、ナンセンスな内容の会話がスムーズに進めば進むほど、発話者たちの同質性(同クラスタ性、お仲間感)を見るものに強く印象付けしまうのである。自分が近年の小林作品を見たときに感じ続けてきた「疎外感」は、まさにそこにこそ由来するのだ。
昨年の《透・明・人・間》は、<1>未だ「内輪」の雰囲気を持たない(芸がこなれてない)外部の参加者を小林と山本が「透明にする」という作品構造、<2>小林自身の手によるものではない腰の据わらない移り気なカメラワーク(つまりそれは「部外者」である観客の視線に同期する)、<3>人通りの多い場所でパフォーマンスを実施することで、その様子を奇異の目で見る周囲の一般人の姿をも画面内に取り込み自分たちの行為を相対化する、などといった要素によって「閉じた」印象を打破し、作品を「外部に開く」ことに成功していたと思うのである。しかし「いつものメンバー」のみによる構成に戻った本作では、それがまたもとの印象へと戻ってしまったのだ。
ただ、ここには単に作者の戦略ミスのみには帰せないある大きな問題も関係しているようにも思われるのである。それは「言葉」そのものが持つ属性の問題だ。この作品において小林は、彼がいつも日用品(モノ)に対してしているように、「言葉」に対して意味の無効化・分解化を試みている(のだと自分は思う)のだが、しかしモノと言葉では、ある決定的な違いがそこにあるのだ。つまり言葉はそれを発した発話者と否応なく結び付いてしまう(結び付けられてしまう)宿命を持っているということなのである。
それが「言葉」の特性なのか、あるいはそれを受け取る人間の側の責任なのかは議論の分かれるところだろうが、少なくとも「言葉」がそのような性向を持ち、そしてそのベクトルから逃れるのが非常に難しいことだけは確かなのだ。言葉の定型化をはじめ、太古より人間はこのベクトルから逃れるための様々な工夫を考案してきた。しかし本質として「言葉」が発話者の意図や属性に照らし合わして「解釈されてしまう」という傾向(宿命)自体は揺るぎないのである。
そしてそれは「言葉」自体の死にも繋がりかねない危険なベクトルでもあるのだ。というのも言葉の内容が発話者の属性によって解釈されるならば、その言葉自体が意味する内容が正しいと感じられる場合でも「誰々が誰それについて言った言葉だから正しくない」といった判断を下されることがまま起こりうるからである。もちろんそれは特別な事でもなんでもなく、言葉をめぐるコミュニケーションとして我々が日常的に行っていることなのだが、その傾向が過ぎると、やがて自分とは異なる思想や信仰をもった人間の発言は全て耳を貸さないといった事態にも発展していくのだ。そのとき「言葉」は機能不全へと陥り、異質な他者を繋ぐための「対話」は途絶える。そして、それはまさに憂慮すべき事態としていまこの世界で起こっていることなのではないだろうか。
自分はこの「隣の部屋」展に出品された小林の作品に、そうした「言葉」の死へと向かう動きに抗うようなベクトルを見る。あの手この手で「言葉」の意味を奪い解体していくその過程は、我々の「言葉」に対する硬直化した思考を解きほぐす。モノの見方を原初状態へと戻してみせるように、「言葉」に対する固定観念をリセットしてひっくり返すかのような作者の試みは、機能不全へと向かう「言葉」を再度蘇生させるためのひとつの実験でもあるように思うのだ。しかしそれならばなおのこと、そこで交わされる会話が発話者たちのパーソナリティや人間関係のレベルの関心へと還元されてしまうような事態は何としても避けなければならない課題であると思うのである。
(備忘録的に書いておけば、同じ「隣の部屋」展に出品されていた百瀬文の作品《定点観測[駐屯地の友人の場合]》がまさにこの言葉と発話主体との関係の問題を扱った作品だった。同じシリーズの前作《定点観測[父の場合]》と異なってその仕掛けが上手く機能しておらず、作品としてはむしろ失敗作の類だと自分は思ったのだが、しかし「いまもっとも新鮮で充実した活動を行っている現代美術家」を扱うことを謳い文句にしている同展にて出品作家の二人――関係があるかわからないが、出品作家のうち当時日本在住だったのがこの二人だった――までが「言葉」の死活に関わる問題をテーマに取り入れていたことに、同時代的な危機感の共有を見た気がしたのである。)
*

さて、以上のような問題を自覚してなのかどうかはわからないが、この作品の次に見た(ようやくここからが本題の展示である)「蓋が開かない、屋根の上の足音」展で発表された小林の新作は、協力者を仰がず作者一人の手によるドローイングとオブジェだけで構成されているインスタレーションだったのだ。
それは次のような作品である。まずは紙に青絵の具一色で描かれたドローイングが130枚ほどギャラリーの壁全てに直貼り展示してある。絵柄自体は省略化された記号的なもので、独特の絵心は感じられるものの基本的には匿名化を指向しているように思われる。壁面には小林作品定番の日用品を使ったオブジェもドローング作品の隙間を縫うようにしていくつか展示されている。そして部屋の中央には白木の木材を組み合わせてできたやや大きめの構築物(印象としては川俣正と菅木志雄を足して二で割った後にさらに無意味化させたような外観)が五体置かれている。この白木の構築物(彫刻?)には、壁に貼られたドローイングから選択された図柄がカラー(と言って青一色の線で描かれていたのが、無意味に複数の原色に分解されただけ)で描き直された標識のような板(絵画?)がそれぞれ4〜5枚ほど適当な場所に貼り付けられている。
この作品においても作者の関心は引き続き「言葉」にあるように思われる。というのも壁に貼られた大量のドローイングには、それぞれにタイトルが付けられているからだ。観客はギャラリーのスタッフから「これも作品の一部です」と言って手渡されるリストと照らし合わせながら作品を見ていくことになる。もともとの絵自体がオートマティスム的というか、即興で気の向くままに描かれたのではないかと推測されるランダムな内容のものなのだが、タイトルもおそらく出来上がった絵を見てその場のインスピレーションのみで付けたような一貫性のない適当な印象のものがほとんどである。おそらく意図的にランダム性を生じさせているのだろう、描かれているものそのもののズバリを名指しているタイトルもあれば、複数枚見て初めてわかるタイトル(例えば焚き火の絵が二枚あってその一枚目が《キャンプファイヤー》であるとしたら、煙の立つ方向が逆に描かれた次の絵のタイトルが《風向きが変わった》であったりするような)もあり、絵(イメージ、記号)と言葉の関係に一定の法則や傾向が生じないように注意が払われていることが窺われる。簡素な線だけで描かれた記号的な絵は、言葉が与えられることによってその見え方が一変するものも多い。四角や三角が描かれてるだけの絵が《おでん》だったりとか、画面いっぱいに引かれた半弧が《虹》の場合と《バームクーヘン》の場合に分かれたりとかするのだ。
日用品を素材にした小オブジェと白木の構築物にもちゃんとタイトルがあって、前者のタイトルが《蓋が開かない(+通し番号)》、後者が《屋根の上の足音(+通し番号)》である。後者には添付されたパネル絵の、壁のドローイングに対応するタイトルが副題として添えられている。つまり壁に貼られたドローイングはこのとき辞書というか語彙リストのような役割をも果たしているのである。
展示にはさらにもう一点、青絵の具で描かれたドローイングとは異質な描写の鉛筆画が、他のドローイングとは違いこれだけはちゃんと額装されて部屋の隅のほうに展示されている。作品リストでは★印が付けられ一人特別扱いされていたこの絵には、屋根裏部屋のような部屋の中で男が天井のほうを気にしながら瓶の蓋を開けようとしている様子が描かれているのだが、この作品のタイトルは展覧会タイトルと同じ「蓋が開かない、屋根の上の足音」なのである。つまりこの絵は「蓋が開かない、屋根の上の足音」という言葉から発想されるシチュエーションを具象的なイラストとして描いたものなのだ。
このことに気付くとき、展示室内にある他の作品によるインスタレーションは、それとは異なる方法で同じ「蓋が開かない、屋根の上の足音」という一文を表したものであると理解できる。つまりこの展示では言葉のビジュアル化の複数の方法が提示されているのである。
鉛筆画の具象的なイラストは、いわゆる一般的な「言葉→絵」の方法ではないだろうか。言葉の意味するイメージを旧来的な絵画の手法(イリュージョンの形成)を使って描いているのである。しかしこれを作品とタイトルの関係としてみた場合、あまりに言葉の内容と絵の示すものが一致しすぎていて、具象的な絵柄に相反してむしろ記号的な印象を強く受ける。
壁面に設置された小オブジェは、言葉(タイトル)とビジュアル(オブジェ)との関係が見出しにくいが、むしろ作品とタイトルという関係においては、この在り方のほうが一般的な美術作品のそれに近いかもしれない。思わせぶりなタイトルを付けて意味深を気取る美術作品に対する皮肉とも取れるし、言葉と「それを表すもの」に対する考察を促す装置としても機能しているのかもしれない。オブジェ自体のナンセンスな外観が、言葉によって作品(ビジュアル)の意味を追い求めていくことをやがて馬鹿馬鹿しくさせるような効果も果たしている。。
壁のドローイングのおける言葉と絵の関係は先に述べたとおりである。その対応の仕方は多様であり、対応関係におけるルールの見えなさこそがこの作品における肝要なのかもしれない。
白木の構築物(彫刻)における言葉とビジュアルの関係は複雑である。白木の構築物を「彫刻作品」として見て、そのタイトルを「屋根の上の足音」とするならば、その関係は小オブジェ(《蓋が開かない》)と同じである。しかしここに壁のドローイングからチョイスされたパネル絵が貼り付けられ、そのタイトルを副題として持つことで話はややこしくなる。つまり壁のドローイングを辞書または語彙リストとして見た場合、それに準じた絵と副題(言葉)が付けられた本作は、つまり言葉とビジュアル(絵)に一定のルールを有することになるからである。しかしそのルールの大本となるドローイングによる「語彙リスト」自体が一定の法則を持たずに成り立っているわけで、ならばマッタクのデタラメかと言えば、でもよくよく考えてみれば自分たちが使っている言葉だって大本を辿ればその法則は多様だよなぁなどと思い至ったりして、考えれば考えるほど自分が「何を見ているか」がわからなくなってくる。
しかもこの個展のタイトルが「蓋が開かない、屋根の上の足音」であるように、この展示の全体が「蓋が開かない、屋根の上の足音」という一文をビジュアルとして表しているのだと思い到るとき、なにか「言葉」そのものなかに入ってしまったような、そんな不思議な体感がこのインスタレーションにはあるのだ。この体感ひとつだけとっても本展の特異さは際立っていた。「言葉」の意味を解体し相対化するという点に関しては「隣の部屋」展の出品作と目指されているものは同じである(と思われる)が、協力者が関わっていない本作では発話者のパーソナリティへと言葉が還元されてしまうこともなく、見事にその試みは成功していたように思われる。
ただ、ここから先はもはや言い掛かりに近くなってしまうのだが、確かに素晴らしくよく出来た作品なのであるが、なんだかちょっとよく出来過ぎているような気もしたのである。もしかすると、これもまた「言葉」の属性に関わる問題なのかもしれない。《透・明・人・間》の「外部」の雑多な要素を取り込みながらも独自な表現として強烈に成立していたさまに比べて、本作のあまりにもスマートに自己完結した佇まいが、言葉における「閉じた」在り様(たとえば暗号、隠語、業界用語など)とどこか重なるような印象も受けたのである。本来ならばその完成度の高さといいテーマの持つ自分の関心との共鳴度といい当然今年もっとも印象に残った展覧会のひとつに選んでしかるべき展覧会ではあるのだが、その僅かに残った「引っかかる」感覚について記録しておく意味も込めて敢えて十選からは外した。


○「鴻池朋子展 根源的暴力」

自分が鴻池朋子の作品に魅かれるポイントはただ一点、個人の能力の限界を超えたような作家としてのスケールの大きさである。もちろん「スケールの大きな作家」ならば他にもたくさんいる。しかし作品において感じられる「個人の力」の大きさにおいて測れば、鴻池はその最大のスケールを持った作家の一人ではないだろうか。
初めは「絵描き」としてのそのスケールの巨大さに驚かされたのだが、2009年に東京オペラシティアートギャラリーで開催された個展「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」では、「作家自身の手」の感触を残しつつも美術館の広大な空間をほぼ完璧に自分の世界へと変貌させてしまう稀有な美術作家へとその認識をスケールアップさせられたのだった。
自分が鴻池の展示を見るのは実にその「インタートラベラー 」以来である。その間に2011年の東日本大震災があり、それを契機に鴻池の制作も激変したといった話も事前に耳にしていた。しかし展示を見た結果から先に言えば、この作家に対する自分の認識はほとんど変わらなかったのである。自分にとってはこの展覧会は正しく「インタートラベラー 」から六年後の鴻池朋子の巨大個展だったのだ。
確かに制作手法や使用する素材などは変わったのだろうが、広大な空間を自分の世界に変容させる手腕はまったく変わっていない。おそらく素材の使い方にとりわけ長けているのだろう。絵(水彩、鉛筆、クレヨン、版画…)、立体、文字、革、布、陶器、セロハン、色、光、影…、展示会場をひとつの作品として見立てたとき、そうした要素のひとつひとつの使い方が実に的確なのだ。素材に対する感覚から直感的に発想しているのではないかと思うのだが、ベニア板に映写した映像の効果などは、映像を専門とする作家の展示でもなかなか見かけないレベルのものだったのではないだろうか。正直言って個々の作品やその世界観は自分の好みからは遠いし、展示も「でもこれってちょっとテーマパークっぽい雰囲気なのかも…」と思った瞬間にちょっと萎えかかったのも事実なのだが、それでもなおかつ自分が魅かれる部分があるのは「作家自身の手」をこの大展示のなかに未だ感じられるからなのだろう。そしてどんなに「他人の手」を作品に取り込もうとも、どんなに芸術家としての自己を共同体へと埋没させようとしても、結果的に千年に一度の大災害だろうがなんだろうが全て自分の制作を「正しく推進させる力」として取り込んでしまっているようにしか見えないその作家の「業」の深さに、もっとも強く感銘を受けたのである。



●「速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち」

ほとんど代表作がない速水御舟展…のわりには、途中まではかなり印象が良かった。冒頭にある《洛北修学院村》は凄くいい絵でこれをピックアップした展示はとても良かったし、なによりもこの手の展覧会では埋め草になりがちな「その周辺」である御舟以外の画家たちの絵が皆粒揃いなのだ。「“大正期日本画の俊英たち”のレベルたけぇ〜、次はなにが来るんだ?」とワクワクしながら入った最終展示室ですべてが暗転する。観客としての自分のこの時点での状況を説明すれば、量的な満足度としてはだいたい腹6〜7分目くらいの感触である。そして最終展示室がそれなりの広さを持つ部屋であることも知っている。当然最後にはなにがあるのだろうと期待して入ったわけだが、そこで自分を待っていたのは「大正期日本画の俊英」でもなんでもない御舟の二人の「弟子」の展示だったのだ。
はたしてこの展覧会の構成において、「大正期日本画の俊英たち」と比べても破格のスペースを割いてこの「弟子たち」の作品を特別扱いする意味はイッタイどこにあったのか。いわんや御舟は弟子を取るのに積極的でなかったという解説がその直前にあるにも関わらずである。もちろんこの二人の作品が「大正期日本画の俊英たち」に匹敵するほど素晴らしいのであればまだしも意味はあるだろうが、いったいこの展覧会を見たものの何人が「匹敵する!」と言って頷くのか。あまりの不可解さに裏に「大人の事情」でもあるのではないかと勘繰ってしまい、なにかとても「嫌なもの」を見せられたような後味の悪さだけが残ったのだった。


●「すごいぞ、これは!」

この展覧会のなにが酷いかと言って、まずこのタイトルである。しかし一言に「酷いタイトル」と言ってもその「酷さ」には様々な種類がある。
そもそもエイブル・アート(日本における福祉の現場を中核としたアール・ブリュット=アウトサイダー・アート)系の展覧会は「タイトルが酷い」という一種の伝統のようなものがある。しかしこの場合における「酷い」はすなわち「イケてない(ぎこちない)」ということであり、もっと具体的に言えば「面白くなさそう」ということなのである。自分が見たもののなかからを思いつくままに挙げるならば、まず生涯ベスト展の一つにまでなった「このアートで元気になる~エイブル・アート'99」(東京都美術館 1999年)から始まって、「21世紀アートのエネルギーを見る」(O美術館、横浜ポートサイドギャラリー 2001年)もそうだったし、「スーパーピュア展」(横浜市民ギャラリーあざみ野 2013年)なんかはまさにだし、「生きるための表現」(東京都美術館 2012年)だってその範疇に入るだろう。どれも皆今でも鮮明にも記憶に残る素晴らしい内容のものばかりだったのであるが、そのタイトルの微妙さもまた別の意味で忘れがたいのである。しかし思うに、このエイブル・アート系展覧会におけるタイトルと内容の反比例の関係には、なにか理由があるのではないだろうか。というのもそれらのタイトルの「ぎこちない感じ」には、ある共通したトーンが感じられるからだ。言ってみればそれは「正確に言い当てようとさんざん悩んだ末に、結局言い当てられずにズレてしまった感じ」である。つまりテキトーに考えて酷いタイトルになったのではなく、正確に「言い当てる」ことにこだわったがゆえに結果的に微妙なタイトルになってしまったというような苦労の痕跡がそこには感じられるのだ。実際に展示を見た後だと、とくにその感覚がよく伝わってくる。
そもそも「カッコ良くてそれっぽいタイトル」なんて付けようと思えばいくらでも付けられるのだ。実際カッコだけでほとんど意味をなさないようなタイトルの展覧会ならば、掃いて捨てるほど世の中に溢れている。故にエイブル・アート系展名の「ぎこちなさ」が突出し、それが目印になって展覧会の識別に役立っているという効果もあるのだが、まぁそれは予期せぬものだろう。そういえばいまふと思い出したが、エイブル・アート系の展覧会でカッコ良くてそれっぽいタイトルと言えば「KALEIDOSCOPE〈万華鏡〉」(世田谷美術館 2003年)なんかがそれに当るのかもしれない。しかしそこで凄い作品を見たという漠然とした記憶はあるものの、上に挙げた「ぎこちない」タイトルの展覧会に比べて「KALEIDOSCOPE〈万華鏡〉」展自体の印象が自分のなかでほとんど消えかかってしまっているのは、やはりその「ぎこちなさ」のなかに展覧会の内容とも関連するそれを付けた人間の「深く悩んだ痕跡」が刻まれているからではないだろうか。
では、なぜことエイブル・アート系の展覧会に限って、そんなにもタイトルを付けるのが難しくなるのか。そこにこのジャンルにまつわる問題の本質が隠されているような気がする。というのも、これは昨年末の日記に書いたことだが、自分が過去に見てきた素晴らしいアール・ブリュット=アウトサイダー・アート=エイブル・アートの展覧会には共通して、それをオーガナイズする側の「葛藤」の痕跡のようなものが展示のどこかに感じることができたからなのである。その葛藤とは言い換えれば「これらの表現をこうしたかたちで取り扱うことがはたして本当に正しいことなのか?」という自問なのだ。その葛藤を経た結果、一周まわって展示へと至っているのだという痕跡、つまり選ぶ側に立ったものの「覚悟」こそが、自分が感銘を受けたアール・ブリュット系展覧会に共通する特徴だったのである。
ではなぜ「葛藤」やそれを経た「覚悟」が必要となるのか。これも昨年の年末日記に書いたことの繰り返しになるが、簡単に言えば、芸術表現をなすことと、それを「芸術」として評価することが、まるで違った位相にあるからなのである。たとえば福祉の現場で芸術表現が治療の一環として取り入れられ、そのことが本人やその周りにいる人々をハッピーにするならば、それは文句なしに「よいこと」であると言えよう。それは太古から続く芸術のよい側面の一つであり、そこに「葛藤」が入り込む余地はない。しかしそこでなされた表現を「芸術作品」として評価するかどうかとなると、話はまったく変わってくる。なぜなら「作品」の評価には、差別と搾取が逃れがたく付き纏うからである。差別のない評価などあり得ないし、価値の生じるところにはすべからく搾取の問題が潜む。つまりある表現を「芸術」として評価するということは、そこで起こる差別や搾取の可能性をも受け入れることを意味するのだ。
さらにアール・ブリュット系の表現にはもうひとつの「差別」の問題が付け加わる。つまり障害やハンディキャップを持つ人々の芸術表現を、「障害」や「ハンディキャップ」を理由に「芸術」のサブジャンルのひとつとして名指しし区別することは、それ自体が差別になってしまう可能性を持つのである。そのジャンル名がアール・ブリュット、アウトサイダー・アート、エイブル・アート…とひとつに定着せずに無限に増殖し続けていくのも、その問題と関わっているのだろう。一昔前はそれでも「アウトサイダー・アート」の名称が主流で、意味的にも一番それがアケスケでわかりやすいと思うのだが、最近は日本人になじみの薄いフランス語である「アール・ブリュット(生の芸術)」が積極的に使われるようになってきている。これなどもおそらく「意識の高まり」の結果なのだろう。しかしどんなに言い換えてみてもこのジャンルが、名付けた瞬間にそれが差別になってしまうような危うい構図のもとに成り立っているという事実には変わりがないのである。
ならばいっそ区別することをやめてしまえばいい!という考え方もあるだろう。先に挙げた展示のなかでは「21世紀アートのエネルギーを見る」がまさに障害をもったアーティストとそうでないアーティストを均等に扱おうとする展覧会の先駆だったし、あるいは先に別項で挙げた公募展の「ポコラート」も応募資格として障害をもった人もそうでない人も参加できるということを謳っている。しかしこの種の試みでは、かえって(つまり作家のバックグラウンドについて知らなくても)目で見ただけでわかる明確な「違い」が彼らの表現にあることが顕わになる場合が多いのである。そしてその「違い」こそが我々がアール・ブリュットの表現に「すごいぞ、これは!」と驚くそもそもの初めであり、アール・ブリュットをアール・ブリュットたらしめている所以でもあるのだ。
その明らかに目で見てわかる「違い」を持つアール・ブリュットの表現のほとんどが「障害やハンディキャップを持つ人」や「正規の美術教育を受けていない人」によってなされたものであるため、結果的にそれがアール・ブリュットの定義としても使用されているわけだが、しかしここで難しいのは、障害を持つ人や正規の美術教育を受けていない人による表現すべてがアール・ブリュットの表現たりえるわけではないということなのである。さらにそれが「芸術作品」として美術館で展示されるべきレベルにまで到ったものともなれば、さらにそのうちの一握りであろう。ここに「芸術」の差別性との齟齬と、このジャンルの定義の難しさの本質があるのだ。
そしてさらに問題を複雑にするのは、「障害を持つ・・・」や「正規の美術教育を受けていない・・・」といった条件が、アール・ブリュットの作品の評価にまったく関わっていないわけではないということなのである。アール・ブリュットの作家とそうでない作家の区別を取り払おうとする試みは、作者のバックグラウンドに関係なく同一の価値基準で作品は評価されるべきだという理念に基づくものなのだろう。しかしそもそも「作者のバックグラウンドにまったく思いを到らせずに、その表現だけを評価する」ということ自体が絵空事というか、欺瞞なのだ。つまり「作者のバックグラウンド」は既存の「芸術」においても、作品の評価の確たる一部分を占めているのである。それは自分自身が作品を鑑賞・評価する際の心境に思いを致せばすぐにわかることだ。アール・ブリュットの場合は、社会的にマイノリティの立場にある作者が「勝手に作った」表現が、専門の訓練や高等教育を受けた既存の芸術家たちをも脅かすほどの芸術作品になりうるという事実に、我々は痛快さを感じたり、あるいは人間の潜在能力の不思議さを見たりするのである。
公平性を目指すこと自体はよいことなのかもしれないが、「芸術」の評価にやはり「差別」は付き物なのだ。それがまったくないかのように振る舞うことは、逆により深刻な差別にも繋がりかねないのである。たとえばここにAとBという二つの作品があって、その表現を「同一の価値基準」に照らし合わせてみたとき、あきらかにAのほうがBよりも劣っているにも関わらず不相応に「評価」されているとする。もしそのときAの作者が障害者でありBの作者はそうでないとしたらどうなるか。昨年末の日記に書いたダウン症の患者が描いた「抽象表現主義絵画っぽい絵画」が「動物が描いた絵」に見えてしまった瞬間の戦慄とは、すなわちそのことを意味しているのだ。
その意味ではアール・ブリュットの表現の評価が、「アール・ブリュット」以下様々に考案されるサブジャンル名のもとに(つまり留保付きで)評価されるのもやむを得ない側面はあるのかもしれない。「芸術」の概念の外で生まれたにも関わらず既存の芸術以上に「芸術」を感じさせる表現であるアール・ブリュットは、「芸術」を相対化し、その原初形態を顕かにするものとして機能するが、同時にその差別性も必要以上にむき出しにしてしまうのである。しかし新規に考案したサブジャンルのなかに押し込めておくことは、そのサブジャンルのゲットー化にも繋がり、それ自体が差別になってしまう。結局どの方向に向かっても差別の危険からは逃れられないのだ。
つまりアール・ブリュットの表現に魅せられそれを世に問おうと思うものは、差別があることが前提である「芸術」に、もともと差別を受けやすい立場にある人間の(しかも多くの場合、他人に見せることを前提にせずになされた)表現を投げ入れなければならないという困難へとすべからく直面することになるのである。優れたアール・ブリュット展が、表面上はどんなにが明るく能天気に見えようとも、その底にそれを選ぶ側に立ったものの葛藤とそれを経たのちの覚悟が感じられるのも理の当然なのだ。逆に言えば、その慎重さや繊細さに欠けた(つまり主催する側の想像力に欠けた)アール・ブリュット展ほど「酷い」展覧会もこの世にないのである。
*

さて、ようやくここから本題の展覧会に入るのだが、ではこの「すごいぞ、これは!」展は以上のような問題にどのような姿勢で臨んでいたのか。
まず気付くのは、タイトルをはじめチラシの表面やポスター、看板などといった目立つ部分にアール・ブリュット、アウトサイダー・アート、エイブル・アート…といった類の名称が一切見当たらないことである。つまりこの展覧会では、そこで扱う表現を意識的に特定のジャンルとして区別することは避けているのだと推測される。そこに「区別すること自体が差別になる」という問題意識と慎重さを認めることはできるだろう。ならばこの時点ではまだタイトルの「すごいぞ、これは!」も、そのような配慮と問題意識の上で付けられたものとして一応の納得はできる。ただ、実際にどういった基準で「すごい!」ものが選ばれたのかがわかりにくいという難点は残る。
この展覧会が実際には「障害者の優れたアート作品」についての調査をもとに企画されたものであることは、チラシの裏面まで読み進んだところでようやく判明する。公式サイトにも載せられているその文章を以下に引用してみる。
-------------------------------------------------------

 近年、障害のある作家が制作した作品が日本でのみならず、世界でも大きな注目を集めています。ハンディキャップがあり、また専門の美術教育を受けていないにも関わらず、「創りたいものを創りたいように創る」作家たちから、何物にも代えがたい魅力を放つ作品が現在どんどん生まれてきています。それらの作品は、思いもよらない視点のとりかたや素材の選択、繰り返し描かれるモチーフへの強いこだわり、奔放な想像力で見るひとを驚かせます。障害があるということは、アートに関して言うならば傑出した才能に恵まれているということでもあるのです。
 この展覧会は、「文化庁 平成27年度戦略的芸術文化創造推進事業」として文化庁と、埼玉県立近代美術館に事務局を置く「心揺さぶるアート事業実行委員会」が実施するものです。平成26年度に実施した「障害者の優れたアート作品」についての調査をもとに、全国の美術館学芸員や美術の専門家が「すごい」と推薦する12名のアーティストたちの作品が一堂に会します。

-------------------------------------------------------

チラシの表面に比べて、さすがにここでは展覧会の詳細がわかる説明がなされている。しかしそれでもなお「ぼやかされている」という印象は残る。“「障害者の優れたアート作品」についての調査をもとに”とあるにも関わらず、“専門の美術教育を受けていないにも関わらず、「創りたいものを創りたいように創る」作家たち”という表現が前半にあって、扱う作家の対象は「障害者」だけでなく、広くアール・ブリュット全般の定義にまで及んでいるようにも受け取れる。穿った見方をすれば後半の「この展覧会は」以降の文章がこの展覧会の説明で、前半部分は近年の一般的な状況の説明であるとも解釈できるが、なんにしても「ぼやかそうとしている」という印象に変わりはない。そしてここからは「区別すること自体が差別になるという問題意識」よりも、どちらかというと「誤魔化している」ような印象を受けてしまう。ここまで対象をぼかす必要があるのだろうか、という疑問はどうしてもわく。過剰に「隠す」こともまた差別に繋がるという問題意識が欠けているのではないかという印象を、この「ぼやかし」からは感じ取れてしまうのだ。
しかしこの文章で一番目を引くのは、文章全体の「ぼやかし」感を掻き消すような「障害があるということは、アートに関して言うならば傑出した才能に恵まれているということでもあるのです。」の一文だろう。自分が過去に見てきたアール・ブリュット系の展示ではここまで率直というか、大胆な言い切りや物言いはあまり目にした記憶がない。しかしその率直さや大胆さにはポジティブな印象は受けない。もっとも繊細に扱われるべき部分が、あまりにも粗雑に単純化されしまっているように響くのである。アール・ブリュットに対する問題意識が深ければ深いほど、たとえ似たようなことを考えたとしても、こうした雑なかたちの物言いにはしないのではないだろうか。この一文からは「障害」だけでなく「アート」に対する考えの浅さのようなものまでが感じられてしまう。
この説明文を読んだ時点で「すごいぞ、これは!」という展覧会タイトルにも一気に暗雲が立ち込めはじめる。「すごいぞ、これは!」という言葉自体に含まれる粗雑さが、この展覧会の説明文から受ける「問題意識が低いのでは?」という疑惑の印象と重なり、さらにそれを助長しているように感じられてしまうのである。そして実際に展覧会を見た結果から言えば、そのタイトルから受ける粗雑な印象(具体的に言えば「すごいぞ、これは!」で終わってしまい、その先にある問題に対して思考停止しているような印象)は、そのまま展示内容の粗雑さとも見事に重なっていたのである。
先にことわっておくと、この展覧会に「すごいぞ、これは!」と思うような作品がなかったのかと言えば、確かにそれはあった。その意味ではタイトルに偽りはなかったのだ。しかしそれがまったく些末的なことのように思われてしまうまでに、タイトルから受ける雑な印象と展覧会の「つくり」の無神経さが強力にシンクロしていたのである。
おそらく諸悪の根源はこの「全国の美術館学芸員や美術の専門家が“すごい”と推薦するアーティストの作品を紹介する」という枠組みにこそあったのだと思われる。はたしてこの方式は本当にこの展覧会の枠組みとして適当だったのか? カタログに掲載されていた文章にはこの方式をVOCA展に準える記述(ちなみにその個所を読んだとき自分の頭には「さればそれはよき例どもかや…」という平家物語の一節が浮かんだのが、それはともかく)があったが、VOCA展の方式がそのままアール・ブリュットの展示に適応できるのか悩んだ形跡も感じられない。むしろ「VOCAでやってるんだから、コッチでもこの方式でいいんじゃないか」と考えなしに導入されたようにすら見えた。
VOCA方式との相性の悪さは、会場のあちらこちらで感じることができる。たとえば推薦者の一人が「敢えて」と断ったうえで「正規の美術教育を受けている作家」を例外的に選んでいるのだが(VOCA方式だとだいたいこうやって敢えて正道から外れるような奇を衒った選択をする輩が出てくるものだが、それはともかく)、そこで選ばれている作品が自分には「一見アール・ブリュット風に見えるものの、実際はそうではない作品」の典型のように見えてしまったのである。この展覧会の主たる選択基準になっているらしい「障害を持つ」の条件にこの作家が当て嵌まるのかどうかはわからないが、少なくともその作品の執拗な描写からはアール・ブリュット特有の「狂気」のようなものは感じられず、むしろ最近のファイン・アート系の作家のなかにもよく見かけるスタイルのひとつのように自分には見えた。このような展覧会において敢えて定義に抗うような選択をするのならば、それは当然その定義や枠組み自体を見直させるような効果をこそが求められるべきだろう。しかし実際になされているのは単に「まぎらわしい」だけの選択であり、その「まぎらわしさ」もジャンルの定義を疑わせるような方向には全然向かわずに、ただ「この推薦者はわかってないんじゃないか?」という疑念を残すのみで終わっているのである。これがVOCA展ならば、たとえ一人の推薦者が「微妙な選択」をしたところでそれが展覧会全体に及ぼす影響は限定的であろう。しかしこの展覧会ではそうはいかない。つまり一人の推薦者への疑義は、引いては推薦者の人選、すなわちこの展覧会自体を統括する責任者の不在、または無能さを印象付けてしまうからだ。
つまりなぜVOCA方式がアール・ブリュット系展覧会と相性が悪いのかと言えば、責任所在が曖昧になってしまうからなのである。先に書いたとおりエイブル・アート=アウトサイダー・アート=アール・ブリュット系の展覧会を成り立たせるものは、葛藤の上にも「それでも自分の責任でこの表現を作品として展示しよう」という選ぶ側の覚悟である。その「覚悟」こそがその展覧会を成立させるための「土台」となるのだ。なぜならばアール・ブリュットにおいてそれ以外の「基準」はないからである。もちろん本展においても個々の作家の選択にはそれを選ぶ側の覚悟が潜んでいたのかもしれない。先の推薦者の選択にだってなにか大きな意味が込められていたのかもしれないのだ。しかしそもそも出品作家の選択条件すら曖昧にされたままのこの展覧会において、観客はどうやってその「覚悟」を判断すればいいのか。土台のないところで「土台」の意味を問うようなカードを出されたとしても、空回りするのは当然なのである。つまり展覧会全体を総括する責任主体が見えないことは、アール・ブリュット系の展覧会としては致命的なのだ。
そしてそれをよく象徴するのが、あのスペースを均等に割り振ったブース型展示であろう。どこにも明文化されてはいないが、アール・ブリュット系の展覧会において作品を「可能な限り最適な状態で展示すること」は、ジャンルの特質から考えても絶対条件だと思う。つまりそれこそが選ぶ側の責任であり、覚悟の表れなのである。実際に自分が見てきた優れたアール・ブリュット系の展覧会において「作品を最適な状態で見せなければ!」という主催者の気概を展示から感じ取れなかったことは一度たりとももなかった。どんな展覧会でも作品を最適な状態で見せたいと思うのは展示する側の心情としては当然だろうが、ことアール・ブリュット系の展示ではジャンルの構造としてそれが顕著に表れるのである。もちろん本展においても各ブース内においては、その気持ちが示されていたのかもしれない。しかし大枠自体の無神経さが、それを掻き消してあまりあったのだ。そもそもブース型の展示は考えるまでもなく「個々の作品をそれぞれに最適な状態で見せる」こととは真逆のベクトルに作用するものなのである。にも関わらずなぜ本展においてブース型展示が選択されるかといえば、つまりはVOCA展のようなコンペでは不可欠な「平等」を目指したからだろう。言うまでもなく「平等」が目指されるのは差別が生じる余地がそこにあるからであり、深い考えもなく「平等」を目指してブース型展示を採用しているように見えるさまは、アール・ブリュット系の表現を「差別」の文脈(「芸術」や「作品」)へと、何の考えもなしにホイホイ投げ込んでいる姿へとオーバーラップするのである。
それら大枠の無神経を内部から食い破るような要素が細部において見られなかったわけではない。たとえば前山裕司氏が選んだアール・ブリュットにおける(そして広くは芸術全般にわたる)「作品」の概念そのものへの問いかけを含んだ杉浦篤の「作品」や、近藤由紀氏が選んだ作家阿部恵子が推薦者が思い描いていたのとはまったく違う出品してきたというエピソードなどは、大枠を揺るがす反転要素としての可能性を垣間見せていたように思う。しかしそれさえも掻き消してしまうほど、展覧会の大枠が粗雑に過ぎたのだ。
そしてそのとき「すごいぞ、これは!」という本展のタイトルは、その「粗雑」という印象を加速するベクトルで働いてしまうのである。本来は「障害者のアート」を全面に出さない配慮や「平等性」を目指す上での命名だったのかもしれないが、その言葉自体に含まれる粗雑なニュアンスが展覧会の枠組みの「無神経さ」と見事にシンクロして、細部にはあったかもしれない覚悟や繊細さをすべて吹き飛ばしてしまっていたのだ。自分が本展のタイトルを最悪に「酷いタイトル」と考える理由は、まさにそのことによる。
それにしてもなぜこんなことになってしまったのかと考えるときに、思い当たるのは本展が「文化庁平成27年度戦略的芸術文化創造推進事業」として企画されたということである。つまり本展で感じた思考停止の部分のほとんどが、このことを理由にした「棚上げ」によるものではないかと推測されるのだ。つまり枠組みは先にあるのだから、それについては考えないでいいやという思考の「棚上げ」である。アール・ブリュットを支えるのはそれを選ぶ側の覚悟であり、先行する枠組みに依存して思考停止したアール・ブリュットほど危ういものはない。そしてこれが国を挙げての「戦略的芸術文化創造推進」の結果なのだとしたら、マッタクモッテ自分には暗い未来しか想像できないのである。



結局今年も年末に一年分の日記をまとめてつけるようなかたちになってしまった。。。それでも年の前半に何本か書いておいたおかげで多少は楽だったかもしれない。
来年も今年同様(今年以上に?)展覧会鑑賞は省エネモードでの運行になると思うが、できればもう少しまめにこのブログも書いていきたいものである(毎年言ってるけど)。
posted by 3 at 17:35| 日記